メッセージ - いのちとして頂く事
ある方から、イエス様のこのたとえはどういう解釈が正しいですか?と聞かれました。
ある解釈と別の解釈では、全く正反対の意味で受け取れる箇所です。
御言葉は一人ひとりに与えられた特別の、オーダーメイドの服のようなもので、その人だけにその時にしかフィットしない命の表れがある、と答えさせていただきました。
その人にとってある時期にはこういう命の受け取り方、10年後にはそういう命の受け取り方になるものですし、別の人にとってはまた違ったいのち受け取り方があります。
例えば以前ある教会で民数記からメッセージを語らせていただいた時、私は希望のメッセージを語ったつもりでしたが、聞いた皆にはとても恐ろしい戒めのメッセージとして受け取ったと聞いて、驚いた事もありました。
御言葉は生きていて力があり、「この解釈が正しい」「それ以外は異端である」と、ある時代のある人間ごときが断言して良いものではないと存じます。
大切なのは、知識で理解するのではなく、食物のように、いのちとして頂く事です。