メッセージ - 最悪を最善に(ローマ3:1-8)
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韓国語通訳有
神はユダヤ人に、神の約束と言葉を委ねられた。
ユダヤ人が選ばれたのは、この民が他の民に勝って力があったからでもなく、正しかったからでもない。
むしろ「あなたがたはかたくなな民である。」とさえ言われている。(申命記9:4-6)
神がユダヤ人を選ばれたのは、ただ、神の一方的な選びのゆえである。
たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方とすべきである。(4節)
人類歴史は罪にまみれ、御言葉を委ねられたユダヤ人も不実であった。
しかしその結果、神の真実さが明らかにされた。
それでは、人の罪の故に神の義が明らかにされたのだとしたら、それに対して怒りを降す神は、不義なのだろうか?
人間は罪を犯す事によって神の義を現し、神の都合のいい道具として利用され、捨てられてしまうのだろうか?
決してそうではない。
神は、罪を犯した人類を捨てるのではなく、むしろ、赦すために、大切なひとり子を人類の身代わりとして私達に遣わして下さったのだ。
それによって私達はますます、神が良き方であり、憐れみ深く愛なるお方であり、そして尊い御子の犠牲によって義を全うされた事を知った。
神は元々、人が悪をしようが何をしようが関係ない、最善なるお方である。
人は神が差し伸べて下さった救いの手に向かって、罪による反抗しかしてこなかった。
神の良きわざに対して人がした事といえば悪でしか無かったが、神は、人間の為した最悪、すなわち御子を十字架につける事さえも、最善として変えて下さった。
神こそ、人の悪を変えて最善へとして下さるお方であり、私達はこのお方に拠り頼む以外に最善な道は無い。