メッセージ - 信仰による義の実現(ローマ3:21-31)
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韓国語通訳有
律法の条項が100あるとして、100全部守ったら義とされるのだろうか?
答えは、否である。(ローマ3:20)
律法は人に罪の認識を生じさせ、人には違反がある、という事を示すために、付け加えられたものである。(ガラテヤ3:19)
付け加えられたもの、と言うからには、別の本質がある。
それはすなわちイエスキリストで、律法は単に、キリストへと導くための養育係に過ぎない。(ガラテヤ3:23-26)
神は聖であり義なるお方である故、人を罪あるまま受け入れる訳にはいかない。
しかし同時に憐れみに満ちたお方でもある故、人の罪を除いて、義とする方法を示された。
それがすなわち、イエスキリストを信じる信仰による義であり、それは何人たりとも無償で提供されるため、誰も、自分の何かを誇る事は出来ない。
では、信仰によって律法は破壊されてしまうのだろうか?そんな事は無い。
律法の一点一画が滅びるよりは、この天地が滅びるほうが易しい、と主は言われたし、律法の最も小さな事を破るように勧める者は、天においては小さい者だとも言われた。
むしろ、信仰によって、律法を成就するのである。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)
主イエスは私達のために身代わりとなって罪を背負い、代わりに罰され、代わりに全ての代金を払ってくださったばかりでなく、私達の代わりに律法を成就して下さったのだ。
エデンの園で善悪の実を食べない限りは園のどんな実をも食べて良かったように、私たちがイエスから独立して自ら善悪判断をしない限りは、あらゆる良き祝福を享受できるのである。
イエス様に全面的に信頼して、あらゆる良き物を得る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!