メッセージ - 命がけで愛された(ローマ5:6-11)

命がけで愛された(ローマ5:6-11)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ローマ人への手紙
執筆 : 
pastor 2011-8-25 20:50

礼拝説教メッセージ音声:命がけで愛された(ローマ5:6-11):右クリックで保存
韓国語通訳有

恋人や友、子のために命を捨てる、というストーリーの映画や小説はよくあるが、その命を捨てる相手が、平気で裏切ったり嘘をついたりする卑怯者であるというストーリーは、ほぼ皆無である。
人間の想定できる愛の枠組みからあまりに離れているし、人間の美意識という枠組みからも外れているからだ。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
神の愛は人の思いを越えて遥かに高く、理解不能なほど懐が深い。

主は私達のために命を捨ててくださった故に私達は愛を知り、兄弟姉妹を愛する手本が私たちに示された。
私達はたとい自分の心が責めても、兄弟姉妹を行いと真実を持って愛すべきである。(1ヨハネ3:16-24)
例えば、兄弟姉妹がお金に困っていて、自分にお金があるけれども、それを施したら財布が空になってしまう、というような時、施さないままでいるなら心は責められるが、施せば責められない。

はたして主は、私たちが施して空になってしまった財布を、そのままにしておかれるお方だろうか?そうではない。
「そして願うならば何でも彼から受けることになる。なぜなら私たちは彼の誡めを守っており、その面前で意にかなうことを行なっているからである。」(1ヨハネ3章22節)
神の御心を行っているのであれば、神は必ず必要を備え願っている事を受ける事ができる。

神は、愛する御子イエス様が命を懸けて救ってくれた私達の事を、どうしてすげなくできるだろうか。
また、尊い御子イエス様が命懸けで私たちを救ってくれたというのに、どうして私たちは、自らを軽んじたり、傷つけたり、自殺したりして良いだろうか。
たとい自分がどんなに薄汚く、みじめで、絶望的に見えようとも、主が命がけて救ってくださったからには、私たちは主の命の値がつけられた者に相応しく、誇り高く生きるのがスジである。

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