メッセージ - 信仰の偉人たち - アブラハムとサラ(ヘブル11:8-16)
信仰の偉人たち - アブラハムとサラ(ヘブル11:8-16)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヘブル人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2011-8-27 19:10
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韓国語通訳有
人は70歳を超えると、住み慣れた場所で余生をゆったり過ごすものだが、アブラハムは75歳の時、主からの召しに応え、さらなる祝福の約束を信じ、見知った土地での家族との平和な暮らしを捨て、どこに行くかも分からずに、主の示されるままに出て行った。
彼の信仰は確かにすごいが、サラもすごい。
もし旦那がある日突然、神から示されたので新しい土地に出て行く、と言い出し、しかもその行き先は分からない、と言うなら、一体どうするだろう。
そこだけを見ると、この夫婦は素晴らしい信仰のように見えるが、最初からそうだったわけではない。
創世記をよく読むと、彼らも最初は信じられなかった事が分かる。(創世記17:15-17)
アブラハムは最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし最終的に、彼は信じた事の実体として、主から契約の印とした与えられた「割礼」をその日のうちに施す、という行動をした。
割礼は、男性の包皮を切り取るが、それは男性にとってはかなりの覚悟が要る行為である。
アブラハムはその日のうちに、彼自身だけでなく、彼の家にいる男子全てにそのようにさせ、彼の信仰に行いという実体を示した。
サラはどうだったか。
彼女も最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし彼女は後には主に信頼し、不信仰に恐れる夫の間違った指示にさえ従順を示し、全ての事から救い出して下さる主に全面的に委ねた。(創世記20章)
サラが主に明け渡したからこそ、主はアビメレクに直接介入され、サラは救い出されただけでなく、羊や奴隷、銀1000枚を得た。
そうして彼らは信仰においても整えられ、主は彼らを省みて、主が言われたその時期にサラは男の子を生んだ。
新約聖書に記述されている彼らに対する評価は、かなり良心的だ。
しかし旧約を読むと、彼らの実際はもっと汚くどろどろしている。
旧約は人のおどろおどろしい実態を、ありのままに暴いているが、新約では、人が犯したおどろおどろしい部分は記録から省かれ、信仰の賞賛だけが残っている。
永遠の書物に記載される内容は、人のどろどろや汚い罪の部分は、主イエスにあって無かった事にされ、ただ信仰によって歩んだ結果だけが残り、賞賛だけが残るのである。
しかしもし彼らが信じないで、御言葉を無視して相変わらず自分の力でやりくりしていたなら、そのような良心的な記載はされなかったどころか、永遠の書物からも抹消されていたであろう。
御言葉は、あまねく平等に注がれるが、それを信じ、信仰の実体である行いを示す者は、わずかだ。
御言葉が与えられ、その通り信じて行えば、豊かな祝福を得るけれど、もし恐れたり無気力になったりして、信仰の行いをしないのなら、ただいたずらに歳を取っていくだけである。
アブラハムやサラのように、信仰によって一歩進み、約束された祝福を得て、笑う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!