メッセージ - ある人を神が頑なにされる理由(ローマ9:10-18)
礼拝説教メッセージ音声:ある人を神が頑なにされる理由(ローマ9:10-18):右クリックで保存
韓国語通訳有
「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。」(ローマ9:13,14)
神がエサウを憎んだのには、理由がある。
ヤコブとエサウが生まれる以前から、祝福されるのは弟ヤコブである、という選びは、確かにあった。
しかし実際は、エサウはアブラハムの子であるゆえに祝福され、400人の奴隷を抱えるほど、持ち物は有り余っていた。(創世記33:9)
では「エサウを憎んだ」とは何か。
この言葉は、旧約の最後の書、マラキ1章からの引用である。
エサウの子孫(エドム)は、選びの民であるヤコブの子孫を助けてその祝福に預かっていれば良かったのに、高慢になり、ヤコブの子孫にひどい仕打ちをした。(オバデヤ書)
つまり時系列で言えば、エサウは当初、神の祝福に与って増え広がって行った。
しかし子孫になるにつれ高慢となり、行状も悪くなって行き、だから、神はエサウを憎んだ、という順番である。
神は、選びの民を祝福する者を祝福し、呪う者を呪われる。(創世記12:3)
そして行状を改めない者に対しては、「主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。」(オバデヤ15節)
もう一つ、神様が約束の子を引き立てるために用いた器が、エジプトのパロである。
「聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。」(ローマ9:17)
エジプトは、ヨセフの統治に任せた結果、世界一強く豊かな国へと祝福された。
にもかかわらず、彼らが神の民にした事といえば、400年もの間奴隷としてこき使った挙句、神の民の祝福を妬んで、男の子が生まれたらナイルに投げるようにさえ指示して、虐待の限りを尽くした。
それだから神はパロの心を頑なにし、エジプトを神の栄光を現す器として、用いられたのである。
エジプトに1回、2回と災いが下るたびに、パロはかえって心頑なとなり、神の言葉を拒んで行き、結局10の災いが下った。
結局、誰の目にも明らかに、神の民は正しくエジプトは間違いである。
そして神は正しく義であり、神に言い逆らう人が不義なのである。
神は確かに人の心を頑なにされるが、人が滅びに至るのは、人の側にも責任はある。
「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。」(ローマ1:24)
人があくまで欲望のままに歩むなら、神はその人を、そのまま汚れへと引き渡される。
神は、何も好きこのんで、人を頑なにしたり、滅びの器に定めたりするわけではない。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」(エゼ18:23)
むしろ神は、人を憐れもうとするが故に、一人子を世に与え、その大切な一人子を身代わりの十字架につける程の憐れみによって、憐れもうとされたのである。
神は人に、幾度も預言者を遣わし、立ち帰れ、帰れ、と何度も促されてきたのに、イスラエルは立ち返らなかった。
それだから、イスラエルはバビロンに引き渡されたのである。
私たちは、神が不公平だといって、神を計り裁くのではなく、むしろ、神が私達に一人子を賜るほどに愛し、憐れまれたことを、感謝すべきである。
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ1:4,5)
私たちを、憐れみの器として、世界のはじまる前から愛をもって定めておられた神様に、栄光と祝福がありますように。