メッセージ - 一方的な恵み(ローマ11:1-6)
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韓国語通訳有
パウロは、イスラエルの頑なさの理由を、ローマ9章より解き明かして来たが、いよいよ11章で、神の深遠なご配剤を明らかにする。
「では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。」(ローマ11:1)
神は、ご自分の民イスラエルを、決して見放さず、見捨てられない。
イスラエルは確かに、神の御前に悪をし続けて来た。
しかし、彼らが見捨てられ絶えるくらいならむしろ、太陽や月星海の運行の定めが取り去られるだろう(エレミヤ31:35-37)、と言われるほど、主が憐れむと定められた民は、御目に尊いのだ。
エリヤの時代、彼は神の偉大なる実業を、大勢の前で堂々と為したにもかかわらず、王の妻イゼベルは悔い改めないどころか、彼を殺そうと付けねらってきた。
イゼベルや王の心頑なさ、人々のどっちつかずさ、神に従う人のいなさに、エリヤさえ絶望しが、神は、選びの器を確かに残しておられるのだ。
「しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。」(4節)
イスラエルは神の憐れみのゆえに、滅びる事なく脈々と存続し続け、現代にまで至っている。
救いは、神様の側の一方的な恵みの故であり、私達の側の何かには拠らない。
「もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。」(ローマ11:6)
神の愛は、一人子を与えるほどであり、御子イエス様の愛は、命を捨てるほどである。
私達は、父なる神こそ憐れみ深いお方であり、イエス様こそ主であると、感謝しつつ告白するのみである。