メッセージ - 恵みの故に接木された(ローマ11:17-24)
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韓国語通訳有
人は、野に生えている木の中から実を結ぶものを選んで栽培種とするが、同じように、神もまた実を結ぶ者を選んで栽培種とする。(ローマ11:17)
このローマ11章に登場する栽培種のオリーブとは、アブラハムを筆頭とするイスラエルの事である。
アブラハムも元々、偶像崇拝をする民の中から、神の一方的な選びによって、人類に救いをもたらす台木として選ばれた。
神はイスラエルを甘い実を結ばせるぶどうの木として待ち望んだが、実際には酸っぱい実しか結ばせず、それを嘆かれた。(イザヤ5章)
彼らが選ばれた目的は、神のために甘い実を結ばせるためであり、その実とは、信仰による実である。
イスラエルは、不信仰によって実を結ばせなかったため、折られてしまい、その折られた所に、我々異邦人という野生種の枝が継ぎ合わされた。(ローマ11:17-24)
そういうわけで、私達とイスラエルとは、台木と接木という密接な関係がある。
今日のこの箇所は、私達異邦人に向けて語られているが、それは、私達も高ぶらないように、という戒めである。
私達は信仰の内にとどまっているなら、いつくしみの内に豊かに実を結ぶ事が出来るが、留まっていないのなら、切り落とされてしまう。(22節)
また、いかに頑なさを続けているイスラエルといえども、不信仰を続けなければ、すぐにまた継ぎ合わされるのである。(23節)
私達は元々、救われるに値しない者であったにもかかわらず、神の特別な慈しみの故に、立っていられる、という事を忘れてはならない。
カナン人の女が、娘を悪霊から救って欲しいと、イエス様に願い出た時、イエス様は「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。(マタイ15:21-24)
私達は、イエス様が異邦人の救いのために来られた、と思いがちだが、その元々は、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていないのである。
このカナンの女は元々、イエス様から恵みをいただけないはずだったのに、何故に悪霊を追い出してもらえたのか?
それは、イエス様をダビデの子メシヤと信じ、あくまで彼を救い主として信仰を捨てなかった故である。
私達も元々、子犬のような存在で、食卓から落ちるパンくずをいただいているに過ぎない、という事を忘れてはならない。
日本で客商売をする時、お客様は神様のような立場で、店員は僕のような立場という傾向があり、中には、店員にクレームし放題のような客もいる。
私達は、おこぼれを頂いている子犬の分際で、ステーキが欲しいとか、フォアグラが欲しいとか言える立場ではなく、恵みのおこぼれを頂いている子犬、という立場を忘れてはならない。
「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。」(22節)
私達は、神の慈しみと憐れみを感謝して覚えつつ、信仰に留まり続け、豊かな実を結ぶ者でありたい。