メッセージ - 忍耐と励ましの神(ローマ15:1-7)
礼拝説教メッセージ音声:忍耐と励ましの神(ローマ15:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有
もし皆が皆、自分の満足ばかり追い求めていくなら、世と何ら変わらず、兄弟姉妹の間に何の立て上げも無いし、簡単に争いが起こってしまう。
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」(ローマ15:1)
強いと思っている人は、弱い人の躓きとなっても、何とも思わないような傲慢に陥りやすいが、そうであってはならず、その人の弱さを担うべきである。
なぜなら、もし自分は強い、という事であるなら、それは主から与えられたものだから。
忘れてはならない。私達は元々、弱く貧しい者だったが、今こうして弱さが補われ、裸の恥が覆われているのは、ただ、主イエス様の恵みによるものである。
私達の主・イエス様は、元々富んでおられ、そして私達は、貧しかった。
そこをなんと、主は、ご自身が貧しくなる事によって、私達の貧しさを買い取って下さり、私達を富む者、強い者として下さったのだ。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(2コリント8:9)
私達召し出された者達を、主がそのようにしてくださったからには、私達も、兄弟姉妹を富ませるため建て上げるべきである。
「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。」(3節)
イエス様は、神の家を思う熱心さのゆえにそしられ、また、引用元の詩篇69編はダビデの作だが、彼も同じように、神の家を思う熱心さのゆえにそしられた。
私達も、神の家を思う熱心があるなら、人々からそしられるリスクは十分にある。
しかし、私達には希望がある。
「 15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」
世においては艱難があり、一筋縄では行かない事が多々あるが、私達の神は、忍耐と励ましの神である。
「励まし」という言葉はパラクレーシス、すなわち「傍にいて助けて下さる」という意味である。
また、「互いに同じ思いを持つように」を直訳すると「互いに同じ思いが与えられますように」となる。
つまり、忍耐と励ましの神様は、聖霊としていつも共にいて助けて下さり、そして、互いに同じ思いとなるようにと、その「同じ思い」が天から与えられるのである。
教会には、実に色々なバックグラウンドを持った人達が集まっているが、中には、正反対の価値観を持ったものがいるかもしれないし、ちょっとこの人はうちの教会から出て行ってくれないかな、という人もいるかもしれない。
そういった人たちと一つになるには、自分の頑張りや歯の食いしばりによるのではなく天から、忍耐と励ましの神が、その思いを与えてくださるのである。
私達が一つになる目的は「それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」(6節)
主イエス様は、神の栄光のために、私達を受け入れてくださった。(7節)
それだから皆さんも、キリストの栄光のために、兄弟姉妹を受け入れますように。
イエス様の名前によって祝福します!