メッセージ - 楽しくてやめられない什一献金
昨日、ある事業をしている兄弟が、仕事が終わった後、ある売り上げの初物の十分の一を捧げに、わざわざ教会に来られました。
本人がまず感謝の祈りをささげた時、この事業はイエス様のものです、と告白していたので、私は二つの御言葉が与えられました。
(箴言3:9,10)「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」
(詩篇91:9-16)「あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。
主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
・・・
彼はわたしを慕う者だから/彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。
生涯、彼を満ち足らせ/わたしの救いを彼に見せよう。」
この御言葉で祈って昨日は終わったのですが、今日の午後、彼が教会に「さっそく祝福されました!」と言って十分の一を携えて、捧げてくださいました。
私達は喜びに溢れて、主が生きて働かれるお方であり、御言葉の法則どおり行えばそのように祝福されるのだと感謝の祈りを捧げ、ますます祝福されるよう、お祈りしました。
それから焼き鳥屋へ物を届けに行った時、そこに集っていた聖徒達にも、この喜びの分かち合いをしたところ、みんな諸手を挙げてハレルヤ!と主を喜び称えていました。
それでさっき、なんと彼がまた訪ねて来て、「またまた祝福されました!」と言って、またしても十分の一を携え来て捧げて下さいました!
もう笑うしかありません。神様が私達の想定を超えて法則どおり祝福を惜しみなく与えて下さったのですから。
彼は、楽しくて仕方ありませんと、主にある事の喜びを実体験して、ますます主に繋がって行きたいと、目を輝かせていました。
こういう事があるから、主に繋がっている事は、止められませんね。
「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」(マラキ3:10)
皆さんも是非、十分の一で主をためしてみては?