メッセージ - コリントにある神の教会へ(1コリント1:1-9)
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韓国語通訳有
パウロ達の第2回伝道旅行の時、彼らがマケドニヤでユダヤ人の迫害に遭い、止む無くギリシヤ方面へ退いた時、彼らははじめてコリント入りし、そこで1年半の間、じっくり伝道する事となった。(使徒18章)
その時、コリントにて教会が建てられたのである。
コリントの町は地峡の上にあるため、交通の要所として商業的に発展し、色々な文化が交じり合ったが、同時に道徳的な退廃も進み、退廃的な生活を送る事を「コリント流」と言うほどだった。
そんなことからか、他の手紙と比べて見ても、コリント教会は、色々な問題を抱えているようだった。
パウロはこの書簡を、第3回伝道旅行で、エペソで2年滞在している時期に書いている。
彼はなぜコリントへ手紙を書く必要を覚えたか。
それは、コリントの教会には分裂があった事、また、パウロへ幾つか質問があったため、その質問に答えるために書いたのである。
そういうわけで、この手紙には諸々の具体的な問題への答えが書いてあるため、我々キリスト者にとっても、それらの問題への対処が分かりやすく説明されている。
コリント人への手紙の書き出しは、「キリスト・イエス」という言葉を何度も登場させ、まず置くべき立ち位置は、キリストイエスである事を思い起こさせている。
「コリントにある神の教会、〔すなわち〕キリスト・イエスにおいて聖められた者たち、召された聖なる者たちに〔この手紙を書き送る〕
――私たちの主イエス・キリストの名を、いたるところで呼び求めているすべての者たちと共に ――〔この名は、〕彼らのものであり、そして私たちのものでもある。」(2節、岩波訳)
神の教会、すなわち、私達主に呼び出された者達は、キリスト・イエスによって清められた者であり、そして、至る所でキリスト・イエスの名を呼び求めている者達である。
私達は、人間的な知恵や主張よりも、キリストにある知恵や知識、御言葉に基づいた判断を、生活や行動の規範とすべきである。
「あなたがたは、その方の子であり私たちの主であるイエス・キリストとの交わりへと、召されたのである。」(9節)
このお方にあって、知恵においても、知識においても、全てが豊かに満たされる皆さんでありますように。