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メッセージ - 愚かさの極みの中に命あり(1コリント1:18-25)

愚かさの極みの中に命あり(1コリント1:18-25)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1コリント人への手紙
執筆 : 
pastor 2011-11-3 20:50

礼拝説教メッセージ音声:愚かさの極みの中に命あり(1コリント1:18-25):右クリックで保存
韓国語通訳有

コリント人たちは人間的な知恵によって優劣判断していたため、兄弟姉妹達の間に分裂があった。
それでパウロは、人間の知恵は神の前には愚かだと指摘している。

人は、力強いな演説や雄弁さ等によって、いのちを得たり救われたりする事は、決して無い。
人は何によっていのちに至るのか?
それは、人には愚かに見える、十字架の言葉によってである。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(18節)

一体どこの脚本家が、人類の救世主は裸にされ、さらし者にされ、磔刑にされる、などと考えつくだろうか。
十字架は、人の価値観からすれば、愚かの極みである。
しかし十字架は、私達いのちに定められた者達にとって、救いの力なのである。

何故そのように福音は、人の目に愚かなように出来ているのか。
それは「知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」ためである。(19節)
救いとは、人の何かに拠るものは何一つ無く、神様からの一方的な恵みであると、神様が定められたからである。

もし福音をそのまま伝えるなら、それは愚かとだと、人は判断しやすい。
だから人は、福音を、より人にとっつきやすく、よりスタイリッシュにと、音楽や芸術などを織り交ぜつつ、伝えようとする。
そうした事は、より多くの人たちに間口が広がる、という意味で、有用である。
しかし忘れてはならないのは、救いは、そういった人の知恵による装飾だけでは成就しない事、そして、救いはイエスキリストの十字架を除いては、ありえない、という事である。
救いは、宣教の愚かさを通して伝わるようにと、神様は定められたのである。

見栄えの良さや、スタイリッシュさ、心地良さだけを伝え、福音の根本たる十字架を伝えない事には、命の養いも栄養も何も無い。
救いの根幹である主イエス様の十字架をしっかり理解し、伝える皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

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