メッセージ - 人の知恵によるのでなく(1コリント2:6-11)
礼拝説教メッセージ音声:人の知恵によるのでなく(1コリント2:6-11):右クリックで保存
韓国語通訳有
人の知恵は、いかに勉強し、いかに経験するかによって増していくものだが、神の国の事柄は、人の知恵によっては理解し得ない。
人類歴史が培ってきた、科学や文学といった人間の知恵によっては、決して悟るとこはできないため、21世紀となった今となっても、神の存在を立証したのかしないのか分からない状態である。
「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。」(1コリ2:7)
この神の知恵の最たるものが、イエスの十字架の事である。
イザヤは預言している。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。」(イザヤ53:1)
一体誰が、自分達のメシヤが、十字架につけられるなど予想できただろうか。
神のなさる事は、人には、とうてい思いもよらない事である。
「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」」(1コリ2:9)
御霊の光による照明がなくては、御言葉を悟る事は出来ない。
御霊に導かれて歩むには、私達は罪に対しては死んだ者であり、神に対しては生きている者である、と、自由意志によって「仕分け」する事、そして、霊に従って歩むかそれとも肉に従って歩むか、という二者択一の場面で、霊に従って歩む事を選び続ける事である。
そうやって御霊に従って進む者は、豊かな御霊の実を結んでいく。
御霊によって歩み、多くの豊かな実を結ばせる皆さんでありますように!