メッセージ - 世の知恵にではなく御霊に(1コリント2:12-16)
礼拝説教メッセージ音声:世の知恵にではなく御霊に(1コリント2:12-16):右クリックで保存
韓国語通訳有
コリントの人たちが分裂しているのは、人間の知恵に頼っているからだ、と、パウロは指摘する。
神の国の事柄は、人間の知恵によっては決して理解できない。
神がおられるのかどうかも、21世紀の科学さえはっきりさせる事ができていないし、何千年も培ってきた叡智も哲学も道徳も、人の罪を除くことは出来なかったし、完全な国家を構築する事も出来なかった。
自然に目を留めれば、永遠なる神様の存在を見る事が出来るが、人類歴史に目を留めれば、人の罪深さや不完全さ、はかなさが、浮き彫りにされているのを見るだけである。
神の知恵のほうが、人の知恵よりも、はるかに勝っている。
ところが人間は、はかない目に見えるものの方を、どうしても頼ってしまいがちである。
コリントは当時のギリシア文化の中心地で、哲学や弁論術、道楽も発達していたため、彼らの耳と目はとても肥えていた。
いかに目や耳、感情に訴えるか、という事を求め、それが良い物だという価値観があった。
しかしパウロの話は目や耳、感情に訴えるものではなかった。
だから彼らは、彼の語るかんじんの御言葉やいのちに、全く目を留める事ができなかったのである。
ところが、神の国に属する事とは、御霊によって解くのである。(14節)
生まれながらの人間、すなわち「魂の人」は、心の中でぐるぐる考えを巡らすしか出来ないため、神の国の事を受け入れる事が出来ない。
対して、御霊を受けている人、すなわち「霊の人」は、全ての事をわきまえるが、彼自身、誰にもわきまえられる事がない。
また、霊の人は、キリストの思いを持っている。(16節)
キリストが思うように思う。その思いを、御霊は与えてくださる。
キリスト者とは、世の人からすれば、わきまえられる事のない、本当に理解不能な人種である。
世の人はキリスト者を見ていて思う。
なぜあの人は、あんにあに悲惨な状況なのに、あんんあに平安なのだろう。
なんであの人は、邪悪な人間に仕返しせず、良いことばかりしてあげているのだろう。
なぜ、彼らは祈るだけで、あんなに平安なのだろう。
ところが実際、キリスト者は、それら全ての苦しみや災いから、助かってしまうのである。
人類にとって最高の敵である「死」すら、彼らを打ちひしがれさせる事が出来ない。
世の人は、そういう事を見て、神がいるんじゃないか、と思って、入信した人も多い。
御言葉というものは、世の人から見れば愚かに見える。
ところが、信じる者にとっては。神の力の現われとなるのだ。
信じる者には助けぬしなる御霊から力が与えられ、慰めが与えられ、あらゆる良きものが与えられる。
キリストは、恵み深く、憐れみ深く、愛に富んでおられ、気前が良く、癒し主であり、いのちの主である。
世の知恵でなく、キリストを豊かに宿らせ、御霊に満たされる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!