メッセージ - 目に見える人にではなく(1コリント3:1-9)
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韓国語通訳有
「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。」(1節)
堅い食物とは、みことばの事で、霊的幼子は、御言葉を柔らかく噛み砕いてあげないと、食べない。
信じて間もない人にはそうする必要がある。
しかし、信じて10年や20年も経っているのに、いつまでもそのような事を要求しているようであれば、嘆かわしい事である。
皆さんは、御言葉を忘れて、人の言葉や人からの評価に、振り回されたりしてはいないだろうか。
あるいは、私は誰につく、彼につくと言って、分裂を引き起こしたりしていないだろうか。
私達一人一人は、人や、目に見えるものによって養われるのではなく、御言葉の食物によって養われるべきである。
霊的幼子のもう一つの特徴として、御言葉には何も求めず、パウロやアポロ、牧師先生といった、目に見える「人」に求め続け、そして、そういった働き人に、信仰の土台を置いている事である。
「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。」(5節)
パウロやアポロ、牧師先生たちは、皆さんの職場や家庭に、いつでも共にいる事はできないが、皆さんはいつでもどこでも、御言葉から直接、必要十分な養いを受ける事ができる。
だから信仰生活は、教会の中ではなく、教会を出て家庭や職場に戻ってからが、勝負どころである。
大切なのは、御言葉を蒔いた人でも、注いだ人でもなく、成長させてくださる神である。
目に見える人間にではなく、決して離れる事の無い、イエス様に望みを置く皆さんでありますように。