メッセージ - にわかに信じがたい事の連続(1コリント3:16-23)
にわかに信じがたい事の連続(1コリント3:16-23)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2011-11-11 20:32
礼拝説教メッセージ音声:にわかに信じがたい事の連続(1コリント3:16-23):右クリックで保存
韓国語通訳有
本日の箇所は、にわかには信じがたい事が連続して書かれている。
パウロは言う。あなたがたが、神の神殿である、と。
私達が「神殿」であるからには、私達という器は、神を宿らせている、という事であり、そして私達は、聖なるものである。
そうであるからには、私達を攻撃するものは、神を攻撃しているのであり、そのような者は、神が取り扱われる。
パウロはさらに続ける。
「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」(1コリント3:22-23)
パウロもアポロもケファも世界も生も死も、みな私達のもの?!
これもまた、にわかには信じ難い事である。
しかし、御言葉にそう書いてあるからには、アーメンといって受け入れるだけである。
なぜこれら全てが、私達のものか。
それは、私達はキリストのもの、そして、キリストは神のものであるからだ。
私達がキリストを「主人」としているなら、夫なるキリストは、計り知れない富と知恵、力で満ちておられるお方だから、全ても私達のもの、という事になるのだ。
「わたしはあの人につく」とか、「わたしはこの教えにつく」といった主張は、なんと馬鹿げているだろう。
私達にとって、まことの主人なるイエスキリストこそ全てであり、このお方を知れば知るほど、世の何者も色あせてしまう。
私達は、自分の立場というものを、よくよく理解すべきである。
エペソ1:20-23
「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」
私達の内に宿っておられるお方は、すべてにおいて、すべてを満たしておられる方。
キリストの名の元に召しだされた私達、すなわち教会は、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場である。
その私達の主は、今の世ばかりでなく、後の世においても、あらゆる名の上に置かれている。
そしてなんと、私達は、そのお方をお入れする神殿なのだ。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」(エペソ1:17-19)