メッセージ - 交わりの純度を保つために2(1コリント5:9-13)
交わりの純度を保つために2(1コリント5:9-13)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2011-11-18 20:47
礼拝説教メッセージ音声:交わりの純度を保つために2(1コリント5:9-13):右クリックで保存
韓国語通訳有
パウロは、不品行な者を悔い改めさせもせず相変わらず交わりを容認させているのは、高ぶっている事だと指摘し、その者を主イエスの権威によってサタンに引き渡した。
それは、彼の肉が滅ぼされるためであり、それによって彼の霊が救われるためである。
コリントの町は、現代日本のように偶像礼拝に満ち、不品行に満ちていた。
そのような事をする人達と一切付き合ってはならない、という事なら、確かに、この世界から出て行かなくてはならない。
しかし、兄弟と言われるものの中で、そのような事をする者とは付き合ってはならない、食事を一緒にしてもならない、と命じている。(11節)
私は会社に勤めている時、お酒を飲むのが好きだったが、その時この御言葉を読んで、酒が好きな私は、兄弟姉妹と付き合う資格も無い、と見出し、兄弟姉妹と交わるとき、この言葉を思い出すたびに、ちくちくと心刺された。
他の兄弟姉妹の中にも、他の罪、例えば性的不品行など、中々止められず、心刺されている方も、いるかもしれない。
そういう人たちが、自分を御言葉に照らしてさばき、罪があると認め、主に救われたい、解放されたいと願うなら、もちろん主は癒しや解放の御業を為して下さるお方である。
しかし、御言葉が何を述べているかを聞きながら、不品行や酒、偶像礼拝などを、兄弟姉妹の交わりに持ち込み、止めないのであれば、その者は、教会の交わりを乱す者である。
そのような者とは付き合ってはいけないし、一緒に食事をしてはならない。
パウロが第1コリントを書いたのは、コリントの不品行の者が悔い改め、そして実際に訪問する時、叱責とむちをもって行きたくなかったからだった。
「あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。」(2コ2:3)
罪を改めなさい、と言うのは、言う側も、言われる側も、悲しく嫌ではあるが、もしそれで罪が除かれるなら、パウロもコリント人も、喜びが沸き起こるのである。
そして実際、その手紙によって悔い改めが沸き起こった。
その人(パウロに裁かれサタンに引き渡された者と思われる)は、多数の者から受けたあの罰で十分で、むしろその人が悲しみに打ちのめされてしまわないよう赦して力づけ、そして、ぜひともその人を愛するようにと、後に書いている。(2コリント2:5-8)
兄弟姉妹の交わりとは、義なる交わりであり、聖なる交わりである。
罪を許さない、という厳しい面があるが、もし罪を悔い改めるのであれば、愛によって覆うものでもある。
何事でも、愛を基準に愛を根拠に為すべきである。
なぜなら、愛は多くの罪を赦し、また、憐れみは裁きに対して勝利するからだ。
交わりに愛と憐れみを満たし、ますます教会の純潔と一致を保つ皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!