メッセージ - 訴えあう事について(1コリント6:1-8)
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韓国語通訳有
コリントの教会は、分裂分派争いがあり、不品行はひどいし、さらには、兄弟姉妹同士の裁判沙汰もあったようである。
パウロはそれらに対し、表面的に「してはいけません」と注意するだけでなく、主イエスにある私達がどういう立場であるのか、真理に立てばそうした事がいかに稚拙であるかを、示して来た。
この6章は、兄弟姉妹同士が訴え合う事について叱責しているが、ここにおいても、真実に照らして何が問題であるのかを示している。
「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。」(2節)
私達人間は、今はしばし、御使いよりも低いものとされているが、後に世界は、私達神の子の支配化に置かれるようになる。(ヘブル2:7)
それなのに、聖徒達の間に争い事が起こると、聖徒同士が御言葉に照らして戒めあうのではなく、世の裁判官を選んで裁判してもらい、自分達の失態を、世に晒している。
そもそも、訴え事が起こるのは、大体人の貪欲さが原因である。
自分の思っていた通りに人が動かない時、欲におびき寄せられだまされる時、自分に栄光を帰するための栄誉欲が満たされなかった時など。
『群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」』(ルカ12:13-15)
自分の兄弟から、いくらかでも財産を取りたいという、貪欲に由来する争いごとは、イエス様は取り合わなかった。
むしろ、貪欲に注意して警戒するよう注意し、そして、多くの持ち物を頼りとする愚かな金持ちのたとえ話へと続けた。
世に属する朽ちてゆく富のために、聖なる兄弟姉妹をないがしろにしたりして、自分を滅びに定めるような事は、実に愚かな事である。
財産を得るために、兄弟姉妹をないがしろにしたり、争ったりする者は確かにいるが、イエス様が命じられたのは、兄弟姉妹同士は、互いに愛し合いなさい、という事だった。
「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。」(7節)
これは、右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい、という主の言葉に通じるものがあるが、その箇所(マタイ5:39)をよく読むと、まず「悪いものに歯向かってはならない」という言葉が先にあり、そこから、右の頬を打たれたら左の頬も、、、と続く。
つまり、悪い事をした者に「抵抗しない」事は、その者を「悪い者」と定め、その者の裁きを、正当にさばいて下さる神様にお委ねする事になるのだ。
兄弟姉妹がもし悪い事をしたら、御言葉を根拠に、柔和な心で訓戒する事、それが愛する兄弟姉妹への対処である。
そうする事で、もしかしたら悪魔に囚われているその人を、神様はあるいは悔い改めに導いてくださるかもしれない。(2テモテ2:23-26)
最も良くないのは、コリント人がしているように、愚かな議論をもって兄弟姉妹に争いを引き起こしたり、兄弟姉妹を言葉巧みに自分の所に引き込んで分裂を促したりする事である。
しっかりと御言葉を身につけ、互いに愛し合い、赦し合い、仕えあいつつ、互いに徳を立て上げて行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!