メッセージ - たゆまず善を行いなさい(マタイ5:43-48)
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韓国語通訳有
今日は、最近いただいた恵みの分かち合いをします。
最近、ある人が主にあって建て上げられる事を願って、その人のために祈り、時間や労力を注いだり、お金の便宜を図ったりました。
ところがその人は、このように言いました。
「私は別にそうして欲しくなかった、あなたが勝手にそうしただけだ」
私はその人が主にあって成長する事を望んでいましたが、その方は別の事を願っていて、私がその方のためにする事は、あたかもその方にとっては邪魔であるかのようでした。
その方のために骨折った事への感謝はなく、むしろ「あなたが勝手にした」と受け止められた事で、怒りと悲しみの苦々しい思いに溢れて、祈りました。
暫く祈っていると、心に浮かんでくる言葉がありました。
「あなたは、わたしが命がけであなたを救うために流した血を、踏みにじった事は無いのか?」
私はその言葉を受けた時、心刺され、さも自分は何の間違えも罪も無いかのように、さも、自分が何か尊いものであるかのように、高ぶっていた自分が悲しくなりました。
私は邪悪で罪深く、まさにその日、主が流して下さった血潮を、軽んじる事をしました。
それなのに、今私はこうして恵みと哀れみによって生かされています。
「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
私は罪と穢れにまみれているのに、そしてそれは今もそうであるのに、そんな私に、主は何をささげて下さったのか。
主は、尊い血潮を、尊いご自身のいのちを、私達のために、父なる神に捧げて下さいました。
それを思うと、私は申し訳なくて申し訳なくて、ただ「主よ、ごめんなさい」と心一杯に呼ぶしかありませんでした。
主が命じられた事を守ろうとする時、時には無駄に思える事があるかもしれません。
しかし、主は良い人にも悪い人にも太陽を登らせ、雨を降らせて下さる良いお方です。
主が望んでおられる事は、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈る事。それでこそ、天におられる御父の子となる事が出来る。(マタイ5:43-48)
だから私達も、そのような主の足跡を辿る事に、間違いは無いのです。
もし皆さんが、主のために奉仕をする時、その動機が主を愛するがため、主に捧げたいがために成すのであれば、人々が何を言おうと、主はその捧げ物を受け取り、とこしえの記念としてくださいます。(マルコ14:3-9)
主が十字架にかかられる直前まで、主がなさろうとする事を12弟子は理解しておらず、ベタニヤのマリヤだけが理解していました。
マリヤは、主が自ら死へと向かっている事を悟ったけれども、他の弟子達は分かっていないので、彼女自らにしか出来ない事をしました。
彼女は300デナリ(1デナリは一日分の給与)の香油のつぼを割り、一滴残らず主に注ぎ尽くしました。
主は、そんなマリヤの心を隅々までご存知でしたが、他の弟子達はそれとも知らず、なぜこんな、無駄な事をしたのか、と憤りました。
私達が主の御心を知り、自分しか出来ない事をする時、周りはそれを悟らず、無駄なことをしている、と怒るかもしれません。
しかし主は、皆さんの心を隅々までご存知で、むしろ皆さんを弁護し、褒めて下さいます。
イエス様は、この事は彼女にとって永遠に記念となると言われました。
永遠に残る事とは、人の考え付いた善行ではなく、主のために注ぎ尽くす事。
主の御心を探り、主のために、その日その時にしか出来ない事をする事。
それは人の目には無駄に見えるかもしれませんが、主の目には尊く、永遠に残る事です。
主が求めておられる事を悟り、人の言葉に左右されず、たゆまず主のために注いでいく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!