メッセージ - 夫婦の営み(1コリント7:1-9)
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韓国語通訳有
第一コリントは、6章までがコリント教会に対する叱責で、7章からは、コリントの人達からパウロに対する質問への回答、という形になる。
今日の箇所は、結婚や独身に関する質問への回答で、未婚の人あるいは何らかの理由で配偶者がいない男女への勧めである。
しかしその中で、3節から5節の間に、もし結婚したなら配偶者に対して果たすべき義務を果たしなさい、という勧めが挿入的に書いてある。
1コリント7章では、一人身だと情欲が燃えて不品行に走りやすい、それを防ぐために結婚しなさい、というような順番で書いているが、結婚はそんなに軽々しいものではなく、偉大な奥義であるとも、パウロは言っている。
結婚とは、単に情欲を満たす相手を得たいから、自分の憧れや願いごとを叶えたいから、といった、自分中心の理由で為すものではない。
結婚は、ひとつ体となる関係であり、しかも、体に関する権利は、相手にあって、自分には無い。
その事を伝えたいから、パウロは3-5節までの事を挿入したのかもしれない。
夫婦であれば、妻として、夫として、果たすべきつとめは、果たさなくてはならない。
「妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。」(4節)
もしあなたが妻なら、その体は夫のものであり、もし夫ならその体は妻のもの、つまり、自分のからだの権利は、自分ではなく配偶者が持っているのだ。
皆さんはこの事を、受け入れられるだろうか。書いてある事は厳しすぎると思うだろうか。
しかし、ここに書いてあるのは御言葉である以上、その通りの心持ちで行なら、その夫婦関係は、実にに祝福されるのだ。
夫と妻は一つ体となっている、と書いてある以上、夫婦という関係は、そういうものなのであり、キリストと教会の関係についても同様である。(エペソ5章)
夫婦の一方が不足を来たらしているのであれば、相方がその不足を満たし、互いに補い合って、完全を目指して互いに建て上げ合って行くものである。
いずれにせよ、結婚生活も含め、全ての営みは、主を中心とするべきで、そして、結婚するよりは、主のために独身を貫く事のほうが、より優れている、とパウロは勧めている。
それは命令ではないが、なぜ独身のほうが優れているかというと、結婚する人たちはその身に苦労を負う事になるからであり(28節)、
結婚するとどのような苦労を負うか、というと、結婚する前は、主に専心して捧げ尽くす事ができても、結婚したら、捧げるべき相手がもう一人増えるからだ。
それまで、主にのみ向いていた心が、伴侶、すなわち”世”にも向いてしまい、心が分裂してしまうのだ。(32-34節)
しかし結婚するからといって悪いわけでもなく、パウロも、その事は命令ではなく、勧めとして書いている。
いずれにしても、最も大切なのは、夫婦関係よりも、主との関係である。
主を中心として、秩序のある生活を送る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!