メッセージ - 夫婦の信仰生活(1コリント7:10-16)
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韓国語通訳有
今日の箇所は、既に結婚した人達への命令と勧めである。
「更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。」(10節)
パウロは結婚という経験が無かったにもかかわらず、夫婦生活や結婚について大胆に命じる事が出来たのは、その命じた内容は御言葉に即した事、主が確かに言われた事だったからである。
キリスト者同士が、兄弟姉妹に勧めたり、命じたりする時、その内容が御言葉通りであるなら、相手がたとい目上であろうと、たとい自分にはその経験がない事柄であろうと、命じる事が出来るのだ。
主はこう言われた。
「言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」(マタイ 19:9)
結婚とは、男と女が、神の御前に一つとなる事で、安易にして良いものではなく、神が既に一つとしたものを、人間が勝手に引き離したりしてはならないものである。
だからパウロは、既に別れてしまったのなら再婚せずにいるか夫のもとに帰りなさい、また、離縁してはいけない、と「命じて」いるわけである。
次に、夫婦の片方が信者で、片方が信じていない場合についてであるが、そのケースは聖書に明示されていないため、パウロも「主ではなくわたしが言うのですが」と前置きし、信仰の先輩として助言している。
伴侶が信者でなく、なおかつ、その人が自分と一緒にいる事に、反対でないならば、離れてはならない、とパウロは勧めた。
自分がクリスチャンである事を、伴侶が承知し反対しないのなら、その人は、キリストに反対しない者、主に味方する者と見る事ができる。(マタイ9:40)
「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。」(14節)
パウロは他の箇所でも「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16:31)と言っているため、どうやら、救われる事・聖とされる事というのは、家族単位であるようだ。
伴侶が何十年目でやっと信仰に入った、というケースは数多くあるため、もし、相手が自分と離れるつもりが無いのであれば、希望を持ちつつ信仰生活を続けるのは、大いに結構である。
しかし、もし相方が、自分の意志で明確にキリストに反し、キリストを信じている自分から、離れていく、というのであれば、離れていくに任せるよう勧めている。
「妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。」(16節)
私達に願いとしては、「妻が、あるいは夫が、救われて欲しい」というのがあるかもしれない。
しかし、救われる・救われないというのは、各人の自由意志に委ねられており、それは神であろうとタッチできない領域である。
神様は、私達が信仰よりも結婚という関係が優先させられ、それに縛られる事は望んでおられず、主を中心として、平和に与らせるために、私達を召して下さっているのだ。
だから、もし信者でない妻あるいは夫が、離れていくのであれば、それに任せなさい、とパウロは勧めている。
いずれにせよ、最も優れているのは、夫婦そろってキリストを信じる信仰に至る事である。
結婚されている方は、キリストの平和の内に夫婦生活を送るように、また、結婚されていない方は、キリストを信じる幸いな伴侶を得るように、主に導かれる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!