メッセージ - 召されたままの状態で(1コリント7:17-24)
礼拝説教メッセージ音声:召されたままの状態で(1コリント7:17-24):右クリックで保存
韓国語通訳有
キリスト者である私達一人一人は、神に呼び出された者達、世のシステムから天のシステムへと組み込まれ、死と呪いに属する者からいのちと祝福の内に入れ替えられた者達である。
しかし具体的な生活や、仕事とか家庭状況を変えなくてはならないというものではない。
「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。」(17節)
私達が今置かれている場所・状況において、主が召しだしてくださったからには、その現場・状況こそ神様から提示されている働くべき領域である。
私達にはそれぞれ分があり、そこを背伸びして、分を超えた事をわざわざする事も、それが出来ないと言って憂うような、いらぬ先回りも、全く必要無い。
「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。」(20、21節)
今の状態が、奴隷であろうと主人であろうと、従業員であろうと雇用主であろうと、主婦であろうと働いていようと、そうした立場は主の御前に関係なく、大切なのは、神の命令、すなわち、御言葉を守る事である。
しかし、不正な利益を得る事や、不品行の生活など、主に喜ばれない習慣からは脱出するべきであり、主に助けを求めるなら、たとい、自ら止める事が出来ないような状況であっても、主はそこから救い出して下さる。
バプテスマのヨハネが現れた時、彼はまず群集に、悔い改めにふさわしい実を結べ、戒めた。(ルカ3:7-14)
バプテスマを受けたから、教会に通っているからと言って、何でもかんでも許されているわけではなく、悔い改めるためにバプテスマを受けたからには、悔い改めに相応しい実を結ぶべきである。
「悔い改めにふさわしい実を結べ。・・・斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」(ルカ3:8,9)
バプテスマ受けたといって安住し、以前の生活に留まったまま、何ら悔い改めの実を結ばないなら、やがて切り倒され、火に投げ込まれてしまうのだ。
群集がヨハネに「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねたとき、彼は、困っている兄弟姉妹に分け与えなさい、また、自分の職務を越えて、持っている権力や力を乱用する事無く、頂いている給料で満足しなさい、と勧めた。
私達は、主から頂いている分を超えず、各々がそれに従い、召された状態のまま歩むべきである。
イエス様のいのちの値段によって買い取られた者らしく、悔い改めに相応しい行動をし、それぞれ与えられた環境、場所、能力に応じ、豊かな実を結ぶ皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!