メッセージ - 喜びの胎動(ルカ1:39-45)
喜びの胎動(ルカ1:39-45)
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『天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。』(ルカ1:28-29)
マリアはヨセフという素敵な男性と婚約中で、貧しいながらも、ささやかな幸せが約束されていたにもかかわらず、ある日いきなり、男を知らない身であるのに身篭って、永遠の王を生む、と告げられたのだ。
彼女は、救い主の母という、古今東西の女性達がうらやむ唯一の栄誉を得たが、人の実際は、そのような天からの偉大なおとずれに戸惑い、もしそうなったらと、目先のあれこれを、心配してしまうものである。
人は、自分の頭で想像し易い、ささやかな幸せを求めるもので、途方も無く偉大な身分を得るなど思ってもおらず、日常を生きる私達が、ある日突然そのような途方も無く偉大な身分を得る、と提示されたなら、逆に困ったり、逆に迷惑に思ってしまうものかもしれない。
私達はあまりに小さい存在であるため、途方もない祝福を、逆に迷惑に思ってしまう事があるが、主が私達に用意しておられる祝福は、途方もないもの、にわかには信じ切れない次元のものである。
その栄誉を勝ち得るには、マリヤのように、主によって語られたことは必ず実現すると信じ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白する事である。
地上におけるマリヤの歩みは、平凡な幸せからは遠く、むしろ心を刺し貫かれる事が多かったに違い無いが、御使いにさえ「おめでとう恵まれた方」と言われた程、天においても地においても、優れた恵みを得た。
それは私達も同様で、地上の歩みとしては、普通の人が望むささやかな幸せからは、離れているように見えても、永遠の観点から見れば、永遠に感謝して余りあるいのちの道を、生かして下さるのである。
もしマリヤが、自分の身に起きた事を真っ先に報告する相手として、神殿にいるパリサイ派を選んでいたなら、間違いなく、メシヤを生まずして、冒涜と姦淫の罪によって石打に処される所だっただろう。
愛するヨセフからも拒絶され、捨てられる事も、十分考えられる程、自分にとってリスクのある事である。
しかし主は、彼女にとって途方もないこの事を、真っ先に打ち明ける相手を、きちんと備えておられた。
マリヤ同様、御使いの導きによって奇跡的に身篭り、もう6ヶ月になっていた、親類のエリザベトである。
マリヤは急いでエリサベトの所へ行ったが、エリサベトがマリヤの身に起きた事を悟ったのは、マリヤからの何時間もの相談でも、情に訴える説得によるのでもなく、マリアの挨拶を耳にした、その瞬間だった。
胎内の子が喜び踊り、聖霊に満たされ、このはるか年下の親類が「わたしの主の母」と悟ったのだ。
そして、彼女自身の口から、マリヤは女の中で祝福された者である事、また、その胎の実は祝福されており、しかも「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と、まだ一言も話してもいないのに、あたかも全てを見透かしたかのように、聖霊による喜びの胎動で悟ったのだ。(ルカ1:39-45)
そしてマリヤは、心から一点の曇りもかき消され、喜びに溢れた賛美の歌を、主に向かって歌った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。。。」(ルカ1:47-55)
主は、信じられないような偉大な祝福と栄誉を、私達信じる者に用意されており、そして、その祝福を受け止められるように、聖霊によって分かち合う兄弟姉妹も備えておられる。その常識では考えられないスケールの祝福は、一部の信じる者だけが密かに知って喜び、分かち合う事が出来れば、十分である。
パウロは、私達が知恵と啓示との霊を与えられ、神を深く知ることができるように、心の目が開かれるように祈り、そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせて下さるように、また、私達信じる者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるようにとも、祈っている。(エペソ1:17-19)
主が成して下さった偉大な事を、私達の内に宿られた方の、喜びの胎動によって共に喜び、密かに分かち合い、ほくそ笑む皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!