メッセージ - 愛は人を造り上げる(1コリント8章1節から13節まで)
愛は人を造り上げる(1コリント8章1節から13節まで)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2011-12-6 19:14
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韓国語通訳有
今日は、第一コリントの8章、偶像に捧げた肉についての質問に対するパウロの回答です。
コリントの町には、アフロディテ神殿という非常に大きな偶像の宮があり、そこで何らかの儀式によって捧げられた肉が出回っておりました。
私達キリスト者が知っていることは、世に神々と呼ばれるものがあったとしても、神は唯一であり、主は唯一キリスト・イエスだけです。
偶像というものは神ではなく、意匠が作った物体にすぎません。
ですから、偶像に捧げたその肉についても、食べなくても損にはならないし、食べても益にならないと、パウロは8節で言っております。
以上の知識がある人は、その肉を食べる事に対して何か良心が穢れるといったことはないでしょう。
パウロがここで論じているのは、偶像に捧げた肉そのものが穢れているのかどうかではなく、むしろ、他の兄弟姉妹につまづきを与えていないか、ということです。
1節に、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる、とあります。
私たちも、あのことを知っている、このことを知っているということで、他の兄弟姉妹に何の心遣いなしに行うことが、他の兄弟姉妹のつまづきになっていないか、注意するべきです。
「私には知識がある」と高ぶっている者は、実は、知らなくてはならないことさえ、知っていないのです。
知らなくてはならないこととは「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」ということです。
愛は人を造り上げますが、知識は人を造り上げるとは限りません。
パウロは、もしあなたの知識によって、その弱い人を滅びに導くのであれば、あなたは罪を犯していることになるのだ、と言っております。
キリストは、その弱い兄弟のためにも、死んで下さったため、その兄弟たちの弱い良心を傷つけ、躓かせる事は、キリストに対して罪を犯す事なのです。
私達は以下のパウロの態度を見習うべきです。
「食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。」(13節)
知識は人を高ぶらせますが、愛は人を造りあげます。
たとえ、世界の全ての神秘に通じる知識を持っていたとしても、愛がなければ、それはなんの益にも徳にもなりません。
私達が何を基準に行動すべきか。それは、愛を基準に行動するべきです。
いかに人の徳を高めるか、いかに人を清い方向へ導くか、そのような基準であれば、何を言うべきであり、また、何を言わぬべきかも、分かってきます。
「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです」、と3節にあります。
私達が愛を基準に行動するのであれば、神に知られた者として扱ってくれるのです。
「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」とイエス様はおっしゃいました。(ヨハネ13:35)
たとえ私達があらゆる災いから守られていても、もし高ぶっているのであれば、世の人達は、こんな交わりには加わりたくないと思います。
しかし、私達が知識や力とかではなく、愛を基準にして行動するのであれば、世の人たちは心を開くのです。
世の中の人が、あの人はクリスチャンだ、と、評価するのは、知識に通じているという事や、不思議なことをする、ということよりも、愛に満ちた人だ、という事を見る時ではないでしょうか。
世の人がキリスト者を、さすが神様から愛された人だ、さすがそのような人は違うな、と評価するとき、その人は神様に栄光を捧げているのです。
どうか、知識によるのではなく、力によるのでもなく、愛を基準に行動する皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。