メッセージ - 天に富を積む:(1コリント9:11-18)
礼拝説教メッセージ音声:天に富を積む:(1コリント9:11-18):右クリックで保存
韓国語通訳有
コリント9章を見ると、コリント人のある者達は、教会設立の大きな功労者であるパウロに向かって、言葉使いが弱々しく、なっていないと批評したり、使徒として認めなかったり、また、彼自ら世の仕事をして、生活費や伝道のための資金を稼いでいるというのに、彼を物質・経済の面で援助する、という発想すら沸かなかったようである事を、垣間見る事が出来ます。
コリントの人達は、パウロに福音のための報酬は与えなかったのですが、しかし12節を見ると、どうやらコリントの人達は、他のいわゆる「働き人たち」には、報酬を与えたようです。
しかしその「働き人たち」は、どうもコリントの人達に良くない影響を与えていったようです。
第二コリントの11:18-23節を開きますと、その「彼ら」というのは、肉的なことによって誇り、コリントの人達を奴隷にし、食い尽くし、騙し、威張り放題されている、にもかかわらず、コリントの人たちはそれをこらえていたようです。
また彼らは、ヘブル人であって、アブラハムの子孫だったようです。
そして、その彼らというのは、パウロより、遥かに苦労をしていなければ、迫害も受けていないようでした。
コリントの人達は、そのような人たちに報酬を支払っているというのに、彼らを心遣い、愛し、日夜祈っているあのパウロに、そう、コリント教会設立の張本人であり、最も尽力した、あのパウロに対し、そのように、恩知らずな事をしていたのです。
皆さんにも、日夜祈りに覚えられて祈っている牧者や兄弟姉妹、家族はいるでしょうか。
そのような兄弟姉妹を身勝手に陰口を言ったり、福音の為に実際骨折っているのに、物質的・経済的援助を惜しんではいないでしょうか。
私達は決して、そのような恩知らずになってはなりません。
福音を述べ伝える者がその福音によって生活の基を、支えを得るということは、それは旧約聖書からも明らかなことです。
13節には、神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかれる事が書かれてありますし、14節 にも、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されたと書かれてあります。
その通りなのですけれど、しかしパウロは、その当然たる権利を、敢えて用いませんでした。
私たちが見ればパウロこそ、コリントの人達から真っ先にもてなしを頂いて然るべきと思うのですが、パウロが敢えてそうしなかったのは、16節「そうせずにはいられないことだからです。」
もしコリントに福音を述べ伝えなかったなら、私はわざわいだ、とパウロは示されていたからです。
つまり彼からすれば、そうせずにはいられずに行ったのですが、他の人から見たら、もしかしたら彼は気違いのように思われたかもしれません。
そんなパウロに、報いはあるのでしょうか。
彼は、自らの受けた報いは「福音を述べ伝えるときに、報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ、自分の権利を十分に用いないこと」だと言っています。
なんと、これが「報い」だというのです。
しかし実は、それは人には計り知れない報いなのです。
一体、それの、何処が「報い」になるのでしょうか。
マタイ福音書の6章では、偽善者のように人前で善行をしたり、祈ったり、断食したりしないよう、主が命じています。
人に見てもらおうという動機で、それらをする時、彼らは既に、報いを受けているのです。
もし、人目を求めてではなく、主を慕ってそれらの事をするのであれば、隠れたことを見ておられる天の父が報いてくださるからです。
つまり、福音の働きや祈り、善行などは、人に見られる目的で為し、人から賞賛を受けてしまった時点で、天からはもう何も受け取れないというのです。
私達が神の国の働きをするのであれば、この世の富や名誉といった、そういったことは期待するべきではないのです。
むしろ私達は、盗人やしみ、さびが決して入り込めない、天に、宝を蓄える事に専念すべきです。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイ6:19-21)
もし皆さんの宝が、人々からの賞賛であるならば、それは廃れてしまいます。
皆さんの宝が、お金であるならば、それはいずれ無くなります。
もし皆さんの宝がそういった世に属する事にあるのであれば、それが少しでも傷つくと、怒ったり、気がきでなかったり、あるいは、人を傷つけたり、あらぬ噂を流したりと、罪を犯してしまうことさえあります。
皆さんが宝を蓄えるべきは、パウロのように、天に積み上げるべきです。
朽ちない宝を天にいっぱい積み上げて、そして、かの日には天の父なる神様から豊かな富をいただける皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。