メッセージ - すばらしい喜びの知らせ(ルカ2:10-11)
すばらしい喜びの知らせ(ルカ2:10-11)
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週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
もしもイエス様が生まれていなかったとしたら、私達に助け主・聖霊は与えられず、罪の赦しも、からだのよみがえりも、とこしえのいのちへ望みも無い、絶望の世界である。
ある牧師が夢を見た。その世界は、なんと、イエス様が生まれていない世界だった。
聖書を開くと旧約聖書しか無く、書斎の本からイエス様に関するあらゆる記述が消えており、救いは選びの民のみで異邦人は汚れた民、神殿に入って神を礼拝する事は、異邦人は赦されなかった。
戸惑いつつ書物を調べているその時、ドアを叩く音があった。開けてみると、貧しい身なりの子が泣きながら「死にかかっているお母さんのために祈って下さい」と訴えていた。
牧師はその子の家に行き、病にうなされているお母さんを前に、聖書を開いてみた。
しかし病の癒しの保障となるお方は世に来ておらず、誰の名によって祈って良いのか分からなかった。
母親は死を前に、今まで犯して来た過ちや罪を思い返して恐れていた。
牧師は聖書を探してみたが、罪の身代わりとなって下さった方がいないので、何の根拠ある言葉が思い浮かばず、また、聖霊による示しも無いため、死の恐れの中にある親子を前に、ただ一緒に泣いたり、人間の知恵によって励ましをするしか無かった。
そして、その母親は亡くなった。
その牧師は、彼女のためにお葬式をする事になったものの、罪の赦しやからだのよみがえり、永遠のいのちの希望の言葉は見当たらないので、ただ「土から生まれた者は土に帰る」という伝道者の御言葉を語り、その子と一緒に泣きながら埋葬するしかなかった。
牧師は、救い主抜きの自分があまりにも無力であり、そしてあまりにも希望の無い世界に、打ちひしがれた。
病や呪い、罪や死、滅びに対して無力である世界に、絶望して泣いていた、その時、その悪夢から醒めた。
牧師は聖書を手に取って見た。目に飛び込んで来た聖句には、次のように書かれてあった。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)
キリストの誕生は、どれほど嬉しく、人類全体にとって素晴らしい出来事だろう。
恐れるな、と私達に語りかけられた御使いの言葉は、何と力強く、慰めに満ちている事だろう。
イエス様が生まれてくださったからこそ、私達には病の癒しを祈る根拠があるのだ。(使徒3:16)
イエス様が、私達の罪のために身代わりとなり、罪を処罰して下さったからこそ、その名を信じる者は決して罪に定められる事が無く、罪と死の原理から解放されるのだ。(ローマ8:1-3)
彼が永遠のいのちへの道を開いてくださったからこそ、例え死の間際であろうと、平安と希望、喜びに満たされるのである。(1コリント15:20-22)
そればかりでなく、キリストは全ての支配、全ての権威や勢力を滅ぼし、全ての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっており、そして最後の敵である死が滅ぼされる。(1コリント15:23-26)
キリストに連なる聖徒達は、キリストと共に永遠に生き、永遠に支配する事になる。(2テモテ2:11-13)
イエス様は「わたしはある」と言われた。(ヨハネ8:24、28、58、11:25‐27、18:5)
私達は百年ほどで土に還る存在だが、主こそ、とこしえからとこしえまで、在りて在られるお方である。
「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙22:13)
この終わりの時代、不正を行う者はますます不正を行うが、私達聖徒は、いよいよ主の流された血で自分の行いという着物を洗い、主に在って聖なる者とされ、いのちの木へ至る権利を勝ち取るべきである。
主イエス様が私達のために与えられた事を感謝し、このお方が投げ出して下さったいのちを軽んじる事無く、その特権を十分に知り、活用し、勝利と祝福を勝ち取る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!