メッセージ - 御霊の賜物(1コリント12:1-11)
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韓国語通訳有
11章ではコリントの教会に秩序がない事をパウロは叱責しましたが、12章では、与えられている賜物を誇ったり、また他の人を見下したりするような人々に対し、御霊の賜物とは何かを示し、また、その賜物の正しい用い方を示しております。
コリントの街は偶像崇拝が盛んで、そのために、悪霊による不思議な現象も色々起きていたことでしょう。
そのような中において、どの霊がキリストからのもので、どの霊がそうでないかを、見分ける必要があります。
その見分け方は、一言で言えば、イエス・キリストを証しているかどうか、です。
ヨハネ16章の7節と8節をご覧下さい。
御霊は助け主であり、その方が来ると、義について、罪について、裁きについて、人に知らせますが、悪霊はむしろ、罪や義、裁きを、あやふやにしてしまいます。
続いて、14節を見ますと、御霊は、イエス様の栄光を現すものだと分かります。
すなわち、御霊の賜物が与えられる理由は、ひとえに、イエスキリストというお方の栄光を現すためであり、そして教会の益となるため(1コリント12:7)です。
たとえ奇跡を行う賜物を持っている人がいるとしても、その奇跡を行う人自身が名誉を上げるような用い方は、正しくありません。
賜物が与えられるのは、あくまで、キリストというお方を栄光化するためであり、また、教会の益となり、ますます教会が建て上げられていくためです。
この箇所を見ますと、御霊の現われ方が合計9つありますが、その源は、同じ霊です。
奉仕にも色々なやり方がありますが、その奉仕をする対象であられるお方は、同じ主です。
また、働きもいろいろありますが、それら全ての働きをなさるお方は、同じ神です。
兄弟姉妹それぞれが助け合い、キリストの体を建て上げてこそ、賜物は有効な力が発揮できます。
例えば「異言を解き明かす力」は、異言を話す人がいなければ何の役にも立ちませんし、異言を話す人だけがいても、その異言が他の人を立て上げる事は出来ません。
そのように、ある聖徒の賜物の現われを、別の聖徒が有機的に補う事によって、2人または3人が、20人または30人分の働きをする事になります。
ですから聖徒は孤立するべきではありませんし、誰かが弱いとか役に立たないからと言って、切って捨てたりして良いものではありません。
後で学びますが、弱いと見られる人こそ、かえって大切だからです。
何より、御霊の現われの存在理由は、イエスキリストというお方に栄光を帰すためです。
どうか、みなさん一人一人に与えられている賜物を、私達の主キリスト・イエスのために、秩序正しく発揮されますように。
そして、さらに優れた賜物が与えられ、より主の栄光を現していく皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって、祝福いたします。
アーメン。