メッセージ - いつまでも残るものは、信仰、希望、愛(1コリント13:1-13)
いつまでも残るものは、信仰、希望、愛(1コリント13:1-13)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 1コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-1-5 20:55
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韓国語通訳有
前回まで、色々な賜物や働きがある事を学んで来ましたが、それらよりも遥かに優れた道があります。
それは、愛です。
何ら人を建て上げる事の無い、ひたすら不愉快な異言や祈り、というものが存在しますが、それは、その中に愛が無いからです。
異言の中に愛が無いのであれば、ただの騒がしいどら、やかましいシンバルと同じで、それは預言にしても、山を動かすような信仰にしても、身を火の中に投げ入れるような奉仕にしても、愛が無くては、何の値打ちもありません。(1-3節)
4節から7節までを見ると、私達が愛を基にして行動しているかどうかの、指標が出てきます。
愛から出た行動なら、妬みや、自慢や、高慢といったものが、一切無いはずですし、自分の利益を求めませんし、礼儀に反することもしません。
また、愛は人のした悪を思いませんし、不正を喜びません。
イエス様は、パリサイ派や律法学者の人達を、責めました。
一見、責めない事が愛だと勘違いしてる人もいますが、しかし、真実の愛は、不正を喜びません。
イエス様がパリサイ派の律法学者を責めたのは、むしろ、愛なるお方だからです。
人が人生を終えようとする時、自分の人生を振り返ってみて、宝のように輝いているのは、愛し、愛された記憶ではないでしょうか。
きっと、大きな事業を為したり、お金をたくさん得た事を思い返してみても、それと引き換えに失ったものの方が多いので、むしろ後悔するのではないでしょうか。
なぜもっと愛していなかったのだろう、なぜそんな廃れるものを追い求める事で人生の時間を使ってしまったのだろう、と。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(13節)
では、私達の愛が豊かになるには、どうすれば良いでしょうか。
まず、知っておかなくてはならないのは、元々、私達には愛は無い、という事です。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4:10)
私達が愛の篭った行動をするためには、まず、私達自身が愛され、愛とはどういうものかを、知らなくてはなりません。
神は、愛です。
神を知れば知るほど、愛を知って行きます。
神は、どれほどの愛を、私達に示して下さったのか。
それは、一人子を世につかわし、その方によって私達に命を得させてくださったほどの愛です。
私達は、愛されているのです。
それも、命がけの愛で。
どうか、この愛をますます知ってください。
愛されていると知れば知るほど、その幸福感によってますます人生が支配されていくようになり、ますます平安が生まれてゆき、その平和の土台に立っている時、私達も真に人を愛し、愛を基にした行動をすることができるようになっていくのです。
ぜひこの真の愛なるお方、イエスキリストの内に留まる皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。