メッセージ - 死と復活(1コリント15:1-11)
礼拝説教メッセージ音声:死と復活(1コリント15:1-11):右クリックで保存
韓国語通訳有
福音、すなわちエヴァンゲリオンとは、勝利の喜ばしい知らせという意味で、その勝利は、死からの勝利であり、罪からの勝利であり、もろもろ私たちを縛っている呪いからの勝利です。
15章では、この最も大切な事として、死者の復活の事を、コリントの人達に伝えております。
おそらく歴史上、死から蘇生した人は大勢いるでしょうが、イエス様の死と復活は、それとは根本的に違う性質のものです。
人が死ぬのは、単にその人の生きるべき分が尽きたからに過ぎず、たとい死から蘇生したとしても、必ず、また死にます。
イエス様が死なれたのは、「聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ」のです。(3節)
そして、葬られ、全能なる神の御力によって、三日後に蘇られました。
「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」(詩篇16:10)
主は「死そのもの」に勝利され、今も後も、永遠に生きておられます。
そして彼を救い主として信じて、彼につづく者は、罪が赦され、義とされ、永遠のいのちをいただけるのです。
主がよみがえられた事の証人は、大勢います。
ケパに現れ、12弟子に現れ、500人以上の兄弟たちに同時に現れました。
パウロがコリント人への手紙を書いた時点でも、そのキリストを見たという証人たちが大勢生き残っておりました。
これだけ、多くの生き証人がいるわけですから、キリストは紛れもなく、肉体をもってよみがえられたのです。
そしてキリストは、最後にパウロにも現れてくださいました。
パウロがまだキリストに出会っていなかった時、神に仕えるという名目の元、多くの聖徒達を牢にぶち込んだり、死刑に立ち会ったりして来ましたが、彼のように、本来使徒になるべきでない者が、使徒にされたのは、真に、神の恵みによるものです。
イエス様は、多くの罪を赦された者は多く愛する、と言われましたが、パウロは多く赦されましたので、彼は他の全ての使徒たちよりも、より多く働きました。
「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(15:10)
パウロは確かに、他の人達に比べて多く働きましたが、それ自体は他の人に誇ることはできませんでした。
なぜならそれは、彼自ら出たことではなく、神からの一方的な恵みによるものだからです。
パウロ自身、石打ちや鞭打ちなどの迫害に遭う度に、自分のしてきたことを思い出したでしょう。
他の人達では耐えられないような鞭打ちや石打ちを、パウロが耐えることが出来たのは、主からいただいてきた恵みを、思い起こしたからです。
皆さんの中にも、自分はキリストの弟子たりえない、つまらない者だと思っている人がいるでしょうか。
自分の犯して来た罪に、穢れにまみれてしまった自分に、思い悩む人もいるかもしれませんが、キリストが赦す事の出来ない罪は無く、除けない穢れはありません。
なぜならキリストの救いの方法は、死と復活だからです。
古い自分は、一度死に、復活して新しく生きなおせる、という救いの方法です。
そして、多くを赦された者は、より多く愛するのです。
もはや、以前の古い自分は、十字架の向こう側へと、逝きました。
これからは、新しい、キリストと共なる命を、生きることができるのです。
どうか、復活の領域にあって、キリストのための働きをする皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって、祝福いたします。
アーメン。