メッセージ - 救いの勇士(2歴代20章)
※本日の礼拝音声は、レコーダーの容量が不足していたため、メッセージの途中で切れてしまっております。
礼拝音声:救いの勇士(2歴代20章)
2歴代誌20章にはヨシャパテ王の活躍が書かれてある。それまでの王たちは異国の神々や偶像を拝んでいたが、ヨシャパテ王は天と地を創られたまことの神様に頼っていた。
私達は祈る時は、大抵まず自分の願いを述べるものだが、彼はまず、主がどういうお方であるかを信仰によって告白し(6節)、主は天におられ全ての異邦の王国、全世界を統べ治めるお方であり、対抗できる者は無い、と、信仰によって宣言した。
次に彼は、御言葉を盾にして祈り(7-9節)、彼の先祖アブラハムに永遠にこの地を与えて下さったという約束を持ち出し、アブラハムの子孫である自分達がそこから追い出されるのはおかしい、と、告白した。
私達も御言葉を盾にとって祈るべきである。
病の内にある場合は、箴言3:8やイザヤ53章を、貧しさに対しては2コリント9:8-11やピリピ4:19を盾に取って祈る事ができる。
次に、やっと現在の彼我の状況を訴え、最後に彼の願いを申し立てた。(10-12節)
王と民が心をあわせ祈った時、主は具体的な指示と、恐れなくて良い事をある人を通して語った。
私達はもしかしたら神様の御声を具体的に聞くという事は、あまり無いかもしれないが、心を尽くして祈った結果、「神様は答えてくださった」と分かった瞬間が来て、言葉では言い表せなくても「大丈夫だ」と分かり、世のものでは無い平安に包まれたという経験を持つクリスチャンは、たくさんいる。
私達の戦いは主のものであり、御心に沿っていない勝利はかえって人を不幸に陥れる結果になってしまう。
自分の願いを主に明渡し、御心のままになさって下さいと祈るなら、私達にはできない勝利が与えられる。
イスラエルの人々は、大いなる戦いの日、主が示して下さった通り出陣した。
地平線を埋め尽くすような大軍団を前に、イスラエル軍はどのような陣を張ったか。
なんと、その大軍と自軍との間に、全く武装をしていない聖なる飾り物をつけたレビ人の聖歌隊を配備した。
恐らく、それを見た敵軍は、あざ笑い、罵倒し、飲み込んで奪い取ってやろうと押し寄せた事だろう。
戦術的に見ればこれほど無謀な事はないが、聖歌隊は進み出て「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と、喜びの声をあげた時、主は伏兵を備え、イスラエルの敵を襲わせた。
主の助けは私達の思いもしなかった隠れた所から現れ、私達と敵との間に立ちはだかり、戦って下さる。
結果、敵は敵同士で戦い合い、互いに滅ぼし合い、一人残らず死体になって横たわっていた。(24節)
分捕りの時、分捕るための武具や高価な物があまりにも多くて、3日もかかった。
一人が一つの死体から分捕るのに多く見積もって30分かかるとし、それを1日12時間働いたとすると、1日で24体、3日で72体分の死体から分捕った事になる。
敵は少なくとも自軍の72倍はいた事になるが、戦わずに勝利したのだ。
もちろん、敵を前にしたら戦わずに賛美するというのを、そのままマネしたら必ず勝てるという訳ではない。
一人一人に与えられた戦いと神の救いの方法は違う。しかし、心を尽くしてイエスキリストの名によって祈るなら、人知を超えた平安が与えられ、人の方法ではない救いが来る。(ピリピ4:6,7)
私達は救ってくださる方、救いの勇士である主イエスキリストに拠り頼まないと、損である!
神様が私達の代わりに戦って下さるなら、例え72人が自分に対抗して攻め立てても恐れる事は無い。
戦いから4日目、イスラエルの民はこぞって主を褒め称え、喜んだ。
周りの国々は、主はイスラエルの敵と戦われたということを聞き、神の恐れが彼らの上に臨み、そのようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。
主に信頼し、主ご自身が戦って下さるなら、大いに分捕りができて、生涯安泰。周りはそれを見て恐れる。
主により頼むという事がどんなに素晴らしい事かを知り、その主の素晴らしさを味わい尽くす皆さんであるように、イエスの名によって祝福します!!