メッセージ - 死に勝利したキリスト(1コリント15:29-34)
礼拝説教メッセージ音声:死に勝利したキリスト(1コリント15:29-34):右クリックで保存
韓国語通訳有
サドカイ派は、当時の特権階級から成る人達で、現世的な地位や富、快楽などを追求し、復活は無いと言っている人たちです。
イエス様は、「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」と、サドカイ派の人たちに迫りました。(マタイ22:32)
神についての正しくない知識を持つ事は、神について何も知らないよりも、はるかに悪い事です。
死者の復活がないといった正しくない知識は、正常な信仰を混乱させます。
この世の利得や栄えが好きな人たちは、復活を否定するもので、「明日は死ぬのだ、さあ飲み食いしようではないか」という価値観によって、無意味な人生を生きてしまう事になります。
そのような人たちを友人として常に交わっていると、現世的な価値観が染み付いてしまい、キリスト者としての品性や良い習慣が損なわれてしまいます。(33節)
キリストに仕え復活を望みつつ送る人生は、「明日は死ぬのだから飲み食いしようではないか」と言っている人たちの人生よりも、遥かに良く充実した人生です。
キリストは、死を乗り越え、死に勝利しました。
もしキリストのよみがえりが無いならば、使徒達のあのようなダイナミックな変化は、説明がつきません。
パウロもキリストを信じたゆえに、毎日が死の連続だと言っておりますが(31節)、殉教を目前に控えた時、私は勇敢に闘い、走るべき道のりを走り終えた、あとは義の栄冠が待っているだけだ、と告白し、誰よりも誇り高く、充実した人生を送った事を思い返しております。(2テモテ4章)
「だれが、キリストの愛から私達を引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。私たちは、キリストの故に一日中死に定められているかのようですが、それら全ての中において、圧倒的な勝利者となっているのです。」(ローマ8:35-39)
死に勝利された主、イエス様の愛から、私達を引き離すものは、何もありません。
私達は永遠の誉れある役目へと、任じられました。
どうか、その聖なる勤めにふさわしい働き人として、今日も一日を歩む皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。