メッセージ - 御心に従って(1コリント16:1-12)
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韓国語通訳有
いよいよ第一コリント最終章に入り、パウロはこれからの予定と、諸々の指示を書いております。
「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。」(2節)
募金を用意しておくようにと促しておりますが、この時点でエルサレムに経済的な困難が生じていたからです。
コリント人にとっては、エルサレムという地は海の向こうの遠い国かもしれませんが、そこにいる聖徒達は、同じ主イエスキリストにある尊い兄弟姉妹である事には変わりありません。
パウロはこの指示の直前に、死者の復活や、また、その死を乗り越えられた、主イエスキリストの話をしておりました。
死者の復活や永遠は、日常生活を営む上ではあまり実感が湧きませんが、永遠の視点から今置かれている状況を見ると、日常の一日一日が非常に大切だと、昨日も学んだ通りです。
天の御国においては、もはや何の不足も、貧しさも、病や死も、ありません。
だからこそ、兄弟姉妹のために献金したり、援助したり、という尊い奉仕は、今、この地上においてしか、することができないのです。
5節以降にパウロはこれからの予定を述べておりますが、「主がお許しになるなら」という条件付きです。
パウロの伝道旅行は全て、主の導かれるままでした。
第二次伝道旅行の時、アジア州を伝道して回ろうとしても、あっちに行っては聖霊に阻まれ、こっちに行ってはイエスの霊がそれを許さなかったりして、自分達の望んだとおりの働きが出来ず、さんざん1000km以上もさ迷って後、やっと次の伝道地であるマケドニアが示された、という事がありました。
主の働きは、人の願いやビジョンによってではなく、主の御心に従って動くものです。
働きの門は、大いに開いてるように見えるけれども、ある日突然、反対者によって強制的に別の地に行かなくてはならなかった、という事を、パウロは何度も経験しているのです。
私達も、明日はどうなるか分かりませんし、願い通りに行かないかもしれません。
しかし、主の御心はこれだ、と示されたのであれば、私の側の願いは降ろし、主の御心を選択しなくてはなりません。
どうか、いつでも主の御心に従える準備をし、主の忠実な僕として、御業を建て上げていく皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって、祝福いたします。
アーメン。