メッセージ - 第二コリントの手紙の発端(2コリント1:1-2)
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韓国語通訳有
コリントの人達には分裂や不品行など戒めるべき点が多くあったため、第一コリントの手紙の内容は、かなり厳しい内容となってしまいました。
そのような事を書く事は、パウロにとって辛い事だったに違いありません。
彼自身、あの手紙を送った事によって、コリントの聖徒達がどうなったのか、非常に気がかりでした。
その第一の手紙を書いた後、エフェソでただならぬ騒動があって、そこを出て行かざるを得なくなり(使徒19章)、傷心のパウロは、コリントの兄弟姉妹の状況をテトスから聞こうと、トロアスで彼を待っておりました。(2コリント2:12-13)
しかしテトスは中々来なかったため、パウロはついに我慢ができなくなってマケドニアへ向かった所、彼はそこでテトスと会うことができ、しかも、彼から嬉しい知らせを受け取りました。(2コリント7:5-9)
パウロが慰められたのは、彼の厳しい手紙のために彼を嫌って離れるのではなく、むしろ悲しんで自らを悔い改めたからです。
コリントの人達がパウロの愛を汲み取り、ますますパウロを慕うようになったのは、パウロにとって、とても嬉しいことでした。(7章7節)
このように、悔い改めに導かれ、良くなって行く人はいたのですが、相変わらず、パウロを使徒と認めず批判ばかりしている人もいました。
第二コリントの随所に、その反対者に対する反論が見受けられ、また手紙の終わりのほうには、そのような反対者達に対して、パウロは再びコリントに行く準備ができており、その際には面と向かって厳しい事を言わない事を望む、と書いております。(12:20-13:2、13:10)
第二コリントの手紙の特徴は、ロマ書や第一コリントのように、教理的・学問的ではなく、直情的・個人的で、特に「働き人」としてパウロが受ける様々な困難や苦しみを、そして、同時に主からいただく大きな助けと慰めについても、書き綴っております。
コリント人の中には、パウロの使徒性を疑う者や、彼の性格が気に食わないといった、御言葉とは関係無い中傷をする者がありました。
それに対し、彼は第二コリントの最初の書き出しを「神の御心によって、キリスト・イエスの使徒とされたパウロ」としております。
彼は好きで使徒となったのではなく、むしろ強引に、暴力的にキリストから召し出され、使徒にさせられたのです。(使徒9章)
主が召した働き人を、あらぬ事で誹謗中傷する人々は何時でもおりますし、また、そのように誹謗中傷されてしまう働き人も、いつでもおります。
神に召し出された奉仕者に、諸々の困難や迫害は、確かにつきものです。
しかし、それでも奉仕をやめられないのは、それを上回る恵みと憐れみが注がれるからであり、その命の実りは永遠に残る栄誉であり、それを得る事ができるからこそ、働きを止められないのです。
召し出された働き人には、確かに艱難はあります。
しかし、勇敢であってください。
皆さんの内におられるお方は、いかなる艱難をも慰めの出来ることのお方であり、そしてこのお方は、世に勝ったからです。
どうか、このお方、すなわち、私たちの主イエスキリストにあって、強められ、働き人として多くの実を結ぶ皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。