メッセージ - 苦しむ事の意味(2コリント1:3-7)
礼拝説教メッセージ音声:苦しむ事の意味(2コリント1:3-7):右クリックで保存
韓国語通訳有
人は苦しみに遭うと、真っ先に何を考えるでしょうか。
なんでこんな苦しい目に遭わなくてはならないのか、自分は何か悪いことをしただろうか、あるいは、自分がこんな苦しみに遭うのは不当だ、と訴えるかもしれません。
しかし、私達が苦しみにあう事には、大きな意味があります。
まずその第一の意味は、神を知る事ができる、という事です。
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩編119:71)
神を知る事こそ、どんな祝福にまさる祝福です。
なぜなら、あらゆる良き事の源であり、全ての祝福の源は、神だからです。
ヨブは正しく生きていましたが、サタンの唆しを神が許され、ある時、立て続けに災いに遭って、全てを失いました。
ヨブの友人達は、ヨブが何か悪いことをしたからこんな苦しみに遭っているのだ、と、何の疑いもなくヨブを戒めましたが、ヨブはそんなことはないと、あくまで、自分の義を主張し、最後には、自分をこんな目に遭わせるような神が間違っている、神と議論したい、とまで言い出しました。
そしてついに神が現れ、圧倒的な御技をヨブに示し、そうして彼は、神を知るに至りました。
人にとって幸いとは、何でしょうか。
初期のヨブのように、金持ちになって子宝に恵まれる事でしょうか。
ヨブにとって何よりの幸いは、災いを通して、全ての祝福の源なる神を知った事でした。
苦しみに遭う事のもう一つの意味は、同じ苦しみの内にある人々を思いやることが出来るようになり、その人達を慰める事が出来るようになる事です。
「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」(第二コリント1章から16節)
最も意味のある苦しみを受けられたお方が、イエス様です。
イエス様は天上でふんぞり返って、人間を見下ろして支配するような神ではなく、天から降りて来られ、人として同じく共に生活し、人として苦しみを受け、人として罪を処罰され、人として死に、そして、蘇ってくださった神です。
だから私達は文句なしに、このお方こそ主であり、このお方こそ私達の救い主であると告白する以外に、無いのです。
イエス様は人として誘惑に遭われ、神としての力は使わず、あくまで「人の子」として、御言葉をもって誘惑に打ち勝ち、私達に勝利の道を示してくださいました。
私達の大祭司イエス様は、私達の弱さに同情できないお方ではありません。(へブル4:15-5:2)
全ての点において、彼は私達と同じ人間となられ、肉体を持たれ、試みを受けられ、弱さを体験されたからこそ、私達に心底同情し、執り成す事が出来る事が出来るのです。
神は、どのような苦しみの中からも、私達を慰める事ができるお方です。
もし皆さんの内に苦しみがあるのであれば、それを通して神を知る事が出来ます。
そして神は、どのような苦しみの中にある皆さんをも、慰め、助け出すことが出来るお方です。
ぜひこのお方により頼み、苦しみを乗り超えてさらに神を知り、より深みのある人へと成長する皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。