メッセージ - 人から離れキリストへ(2コリント1:23-2:4)
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韓国語通訳有
表立った指導者が、現場に行かないほうが、かえって良い事があります。
人の上に立っている人は、何かと人を指導したり支配しようとしがちですけれど、パウロは、そうではありませんでした。
彼はこの時、なぜコリントに敢えて行かなかったのかというと、コリントの人たちは既に、信仰に基づいてしっかり立っていたからです。
パウロ抜きで信仰にしっかり立っているのであれば、わざわざ行って、余計な支配をするのは、弊害が大きい可能性が大です。
「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。」(24節)
しかし信仰に固くたっていない時、パウロは厳しい態度で臨み、信仰を回復しようとしました。
それは、第一コリントの手紙を読めば明らかで、パウロはその人たちを厳しくリードし、良くない信仰や不品行から救い出そうと、それこそ必死です。
それはパウロが「あなたがたの喜びのために協力する者」だからです。
2章はじめで言及されている、パウロが悲しませた人とは、おそらく、第一コリント5章の、不品行の人の事と思われます。
第一コリント5章を読みますと、かなり厳しく、恐ろしいことが書いてあります。
はたして今日の教会で、信徒を主イエスの権能によって裁いたり、サタンに引き渡したりするような牧会者など、いるでしょうか。
しかし、パウロは怒りの感情に任せて、このような事をしたのではありません。
「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。」と書いている通り、彼は悩み、涙を流しながら、そうしたのです。
「それは、あなた方を悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。」(2コリント2:4)
つまりパウロがそのような事をした動機は、怒りではなく、愛からです。
信徒をサタンに引き渡したい牧会者など、恐らくいないでしょう。
しかしパウロは愛の故に、「主の日に彼の霊が救われるため」(1コリント5:5)、敢えてしました。
サタンに引き渡された人は当然、色々な苦難や呪いを受けます。
もしかしたら後悔して、もうそんな苦しみは嫌だ、不品行などしないでイエス様にたちかえっていた方がよかった、という思いが湧き起こり、主に立ち返ることに、パウロは賭けたからです。
私達が人を戒める時は、確かに悲しみが沸き起こりますが、その悲しみを乗り越えた向こうには、喜びが湧き起こります。(2コリント2:3)
私達は肉体に束縛されている人間である以上、今ある聖徒の交わりが、いつまでも続くとは限りません。
いつ誰が交わりから離れるとも分かりませんが、一つ確かな事は、キリストこそ、いつでも一緒におられ、決して離れる事も間違える事も無い、真のリーダーです。
ですから私達は、聖徒達をいつまでも囲ったり支配したりするのではなく、パウロのように、どんどんイエス様に委任して行くべきです。
もちろん、ある程度の成長を遂げるまで、付き添う事は必要ですが、いずれは人間の指導者から離れ、まことの羊飼いなるイエス様へと繋げる事が、ミニストリーの最終目標です。
どうか、信仰の創始者であり完成者であるキリストから目を離さず、ますますキリストに似た者とされ、完成を目指していく皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。