メッセージ - 真実な関係(2コリント2:5-11)
礼拝説教メッセージ音声:真実な関係(2コリント2:5-11):右クリックで保存韓国語通訳有
「その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。」(2コリント2:6-8)
ここに出てくる「その人」とは、おそらく第一コリント5章に登場する、父の妻を妻としている不品行の人の事でしょう。
パウロは、体そこにいなくても、主イエスの御名によってその人を裁き、サタンに引き渡したとさえ言いました。
それはその人の肉が滅ぼされるためですが、それによって、その人の霊が主の日に、救われるためです。(1コリント5:5)
信徒をサタンに引渡したい牧会者など、恐らく一人もいないでしょうが、パウロが敢えてそのような事をしたのは、その人が憎くて、感情任せにではなく、良くなって、救われて欲しいがために、涙と呻きを持って為したのです。(2コリント2:4)
そしてその人は、多くの人から処罰を受けて、十分悲しんで、悔い改めたようです。(6節)
パウロは今度は、その人への思いやりに満ちた事を書いており、もう処罰を十分受けたのだから、その人を赦し、慰め、愛するようにと勧めております。
パウロが先の手紙を、敢えて厳しく書いたのは、コリントの人達が従順であるかどうか、試すためだ、と、9節に書いております。
彼はこの手紙によって、コリントの人達が憤って断絶してしまうか、あるいは、悔い改めて和解するかを「試し」、コリントの聖徒達を失うか、得るか、という「賭け」に出たわけです。
幸いコリントの人達は、あの手紙によって悔い改め、パウロはコリント人達を、霊的に得ました。
悔い改めへと導かれたからこそ、和解が成立し、このような悔い改めと赦しと愛に満ちた手紙を、書くことができたのです。
悔い改め無き和解は、妥協に過ぎません。
兄弟姉妹達が、御言葉に反する方向に行こうとするなら、パウロのように、断絶も辞さないほどの厳しさで臨まなくてはならないのが、本来あるべき姿です。
そして悔い改めたのであれば、赦し、愛で包むべきです。
「わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。」(11節)
罪を犯した兄弟姉妹と相対する時、怒りに任せてしまうと、サタンに機会を与えやすいため、気をつけなくてはなりません。
「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エペソ4:25-27)
私たちは互いに真理を語り合い、その関係は、真実であるべきです。
罪を犯しているのであれば、御言葉に基づき指摘して戒めるべきですが、罪を犯しているのではなく、価値観や習慣のちょっとした違いから、怒りへと発展してしまう事があります。
例えば、Aという兄弟が習慣的・無意識にしている事は罪ではないのだけれど、Bという兄弟の神経を常に逆なでし続けているようであるなら、Bは我慢し続けるのではなく、その事を正直にAに申し上げるべきです。
いつまでもその事を思い巡らしてサタンに機会を与えたり、罪を犯していまう前に、真実を言って、お互いの間をすっきりさせるべきです。
「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エペソ4:27)
もし悔い改めたのであれば、たとえ同じ過ちを犯したとしても、七度を七十倍するまで赦しなさい、と、イエス様はおっしゃいました。(マタイ18:21-35)
なぜなら、私たち全てが、莫大な借金を免除してもらっているからです。
どうか、主イエス様にあって、赦され、そして聖なるものとされた者たちらしく歩む皆さんでありますように。
互いに、御言葉によって教え合い、ある時は責め、戒め、有益な事を勧め合う兄弟姉妹達でありますように。
イエス様の御名前によって祝福いたします。
アーメン。