メッセージ - 途方もない宝を秘めた私達(2コリント4:7-2:12)
礼拝説教メッセージ音声:途方もない宝を秘めた私達(2コリント4:7-2:12):右クリックで保存
韓国語通訳有
私達は土の器にすぎませんが、キリスト者は内側に、途方もない宝を入れています。(2コリント4:7)
その宝とは、キリストです。
泥で団子を作る「泥団子」は、実は奥が深く、団子をうまく磨けば磨くほどツヤが出て、反射するまでになり、宝玉のようにもなります。
しかし材料が泥である事には変わりありませんので、落とせば粉々になるし、水分が無くなれば、ひび割れします。
私達という土の器も、泥団子のように自分磨きをするのですが、所詮は土のちりに過ぎない事が、いずれ明らかになります。
自分磨きもいくらかは有益ですが、私達という土の器よりも、むしろ器の中に入っている宝のほうが、はるかに勝っています。
だから私達は、土に過ぎなくとも、計り知れない宝をお入れしている「器」であると、わきまえる事が大切です。
キリスト者になれば、苦しみや困難などが無くなる、と思ったら、大間違いです。
むしろ、それらの中にあっても、私達という土の器にキリストをお入れしている状態であるならば、どんな困難にも、どんな不足にも、決して行き詰ったり倒されたりする事はありません。(8-10節)
パウロも肉体に何かしらの病があり、それを「わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使い」と表現しました。(12:7)
しかし、キリストの力は、人の弱さの中でこそ十分に発揮されます。
それ故パウロは、キリストの力が宿るように、むしろ、自分の弱さを大いに喜び、誇りましょう、と言いました。(第二コリント12:9)
私達の全ての助けの源を、土の器に過ぎない自分に置かず、内におられる方・キリストに委ねる時、キリストの圧倒的な復活の力が働きます。
その時、自分の力を発揮できず、死に定められているようにも見えますが、その弱さの中でキリストの圧倒的な力が働いて、キリストの力が、誰の目にも明らかになるのです。
その時、艱難も苦しみも、迫害も、飢えも、裸も、危険も、剣も、どのような困難の中にあっても、私達を愛して下さる方によって、圧倒的な勝利者となる事ができるのです。(ローマ書8:35)
そして、世のいかなる被造物も、死も、命も、主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私達を引き離すことはできません。
この内側におられる宝なるキリストから、無限の力をいただきつつ、日々を歩むみなさんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。