メッセージ - 見えるものと見えないもの(2コリント4:13-18)
礼拝説教メッセージ音声:見えるものと見えないもの(2コリント4:13-18):右クリックで保存
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」(16節)
外なる人は私達の肉体であり、日々衰えていくもの、永続しないもの、その組成は土にすぎません。
内なる人とは、イエス・キリストにあって息吹かれた私達の霊であり、それは朝ごとに新しく、キリストを感知し、キリストを表現し、キリストにあって莫大な力を秘めています。
『「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。』(13節)
この箇所は詩編116編10節からの引用ですが、その詩編の作者も主を信頼し、主の御前で誠実に歩もうとしました。
それでも、困難があると「私は大いに悩んだ。」と告白してしまいましたが、すぐに「すべての人は自分も含めて偽りを言う者だ」と否定し、それから主はどういうお方かを告白し、そして、感謝と賛美をしました。
私達の肉体や、内側にあるものを見ても、絶望しかありません。
ただ私達の希望は、内なるお方・キリストであり、このお方にあって私達は日々新たに造り変えられていきます。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(18節)
見えるもの、すなわち私達の肉体や精神、また私たちが頼りにしがちな富や人などは一時的です。
しかし、見えないもの、すなわち、キリストにあって息吹かれた霊である内なる人は、いつまでも続きます。
どうか皆さんの内に息吹かれた霊にあって、私達と共におられるお方が、どれほどすばらしいかを口で告白し、じっくり味わい、感謝する皆さんでありますように。
イエス・キリストの御名前によって祝福します。
アーメン。