メッセージ - 新しい体を着せられる(2コリント5:1-10)
礼拝説教メッセージ音声:新しい体を着せられる(2コリント5:1-10):右クリックで保存
韓国語通訳有
私達が生きているこの肉体は、使っていればやがて壊れてしまう幕屋(テント)のようなものですが、後に神様から頂く体はこのテントよりも遥かに優れた豪邸のようなものです。
旅路において確かにテントは必要ですが、何日もテント生活をしていると疲れてしまうように、この地上での人生という旅路は、疲れを覚えるものです。
「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。」(4節)
地上を生きる肉体には罪があり、諸々の必要があり、その体を存続させるために、そして、死から逃れるために、我々は額に汗して働き、労苦しなくてはなりません。
しかし、神様から与えられる新しい住まいには、罪は無く、死もありません。
罪ある滅びるべきものは、罪なき滅びないものを着、死ぬべきものは不死を着、こうして死は命に飲み込まれるのです。
私達がこの死ぬべき体から解放されて、新しい住まいに住めるのは、イエス・キリストが私たちを買い戻して下さった故です。
私達の体は日々衰えますが、キリストにあって朽ちない体を着せられる時、死は勝利に飲み込まれたという御言葉が実現します。(1コリント15:53-57)
「わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。」(5節)
御国の体を受け継ぐための保証(手付金)が御霊です。
保証とは手付金とも訳せ、永遠の御国は私達に保証されており、聖霊が私達に与えられているのです。
私達はイエス様を信じて救われたからと言って、好き放題してよいというのではありません。
なぜなら人は、一度死ぬ事と、死後裁かれる事が、定められております。
「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」(10節)
そういうわけで私達は、この地上において、主に喜ばれる事をするのです。
天の御国のための積立貯金は、今しかできません。
この体は既に主のものとなった以上、生きるにしても死ぬにしてもキリストのためになすべきです。
ただ、天の御国をもって、何より愛するイエス様に喜ばれ、その愛の動機によって、この地上での日々を歩んでいく皆さんでありますように。
イエス様の御名前によって祝福します。
アーメン。