メッセージ - 御心に沿った悲しみ(2コリント7:1-16)
礼拝説教メッセージ音声:御心に沿った悲しみ(2コリント7:1-16):右クリックで保存
韓国語通訳有
7章全体は、パウロのコリント人達に対する信頼が回復できた事への喜びに満ちている。
パウロは1コリントへの手紙で、不品行に対する叱責をなど、結構厳しい内容を書いたが、パウロ自身、そのように厳しく戒めるのは悲しい事、嫌だった事が、8節から伺える。
彼自身、あの手紙を書いた事で心に不安を抱えていたが、しかし、パウロのその悲しみは喜びへと変わった。
コリント人達は、あの手紙によって御心に沿った悲しみをし、悔い改めが生じて良い実を結んだからである。
「つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。」(7節)
神の御心に添った悲しみは、大いに有益である。
御心に添った悲しみのメリットの一つ目は、まず、その罪による害を、もはや受けなくなる事である。(9節)
二つ目は、悔いの無い救いに至る悔い改めを生じさせる事だ。(10節)
世の悲しみは、死をもたらすだけだが、御心に添った悲しみは、逆にいのちをもたらす。
三つ目のメリットは、あらゆる良き熱心を起こさせる事である。
「神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。」(11節)
これによって、本当に罰されるべき人が処罰され、群れ全体が汚され全体が処罰される事を免れた。
このように、御心にそった悲しみは、多くの良い実を結び、神と聖徒達とを喜ばせるものである。
人に後ろ指をさされないために、決してごめんなさいを言わない人がいるが、それは強さとは言わず、愚かと言う。
悔いない心、頑としてごめんなさいを言わない心は高ぶりであり、周りの人達に悲しみや気落ちを起こさせ、結局は自分の身と周りに害を招く事である。
「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」(マタイ5:5)
聖徒達の中に罪があれば、パウロのように、悲しむ事を辞さずに指摘し、悔い改めへと導く皆さんでありますように。
そして、もし自分に悔い改めるべき所があればすぐ悔い改め、いつでも柔和な心で、大きな益を受け続ける皆さんでありますように!
イエス様の名前によって、祝福します!