メッセージ - 捧げる事の喜び(2コリント8:1-7)
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韓国語通訳有
8章でパウロは、施す事、捧げる事を勧め、その恵みと祝福を分かち合っています。
「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」(1,2節)
マケドニアの教会は、激しい試練に遭い(使徒16、17章)、窮乏の中にありました。
普通「恵み」と言えば、試練や貧しさとは真逆の事かと考えがちですが、必ずしもそうではありません。
それを理解するキーワードは、2節の「満ち満ちた喜び」です。
神の恵みとは、試練や極度の貧しさなどの状況に左右されない、満ち満ちた喜びであり、状況に左右されない平安の事です。
「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。」(4節)
この「慈善の業と奉仕」の原意は、コイノニア(交わり)です。
すなわち、交わり(コイノニア)とは、受けるよりも与える事の意味合いが強いのです。
教会や聖徒達の交わりから何か得ようという動機で、交わりを求める人もおりますが、本来交わりとは、キリストのからだである聖徒達のために捧げる事、与える事です。
マケドニアの人達は、極度に貧しいにも関わらず、むしろ喜んで惜しみなく施しました。
それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえであり(ピリピ4:18)、そして神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、私達に必要なものをすべて満たしてくださいます。(同19節)
ピリピの教会は神から栄光の富をいただき、そうして成長して行きました。
それだから、施す事はまさしく恵みだと、パウロは言ったのです。
私たちも、主にあって捧げるなら豊かに祝福され、全ての必要は満たされ、あらゆる面で富む者とされていきます。
そのように祝福される皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!