メッセージ - 惜しみなく施す祝福(2コリント9:1-7)
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韓国語通訳有
パウロがコリント教会に、エルサレムへの献金を確実に実行するよう手配したのは、お金が欲しくて、という理由では当然ない。
コリントの人達みずから出た良い約束を、偽りとさせないため、そして、せっかくコリントから飛び火した憐れみの心に、冷や水を浴びさせないためである。(1-4節)
コリント教会は元々、どこよりも先んじて、献金を集めて送ろう、という動きが起こり、それがマケドニヤなど周囲の霊と心に火をつけ、その良き働きが広がって行った。
にも関わらず、コリント教会は、偽兄弟や偽使徒にかき乱されてしまい、せっかく起きたその良い働きを中断してしまった。
そこでパウロは、初めに沸き起こったその良いビジョンへと再び戻らせようとして、この手紙を書いたのである。
6節以降に、捧げものをする時の心構えを書いている。
「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」(6節)
それは旧約(箴言11:24-25)にも、新約(ルカ6:38)にもある法則であり、喜んで与える人に神は、押入れ揺すり入れして与えて下さる。
これは世の中の成功哲学でも言われている事だが、そもそも成功哲学とは、成功した人達の行動パターンの統計を取り、編み出したものだが、世の中で成功しているのはユダヤ人が多く、そのユダヤ人が基にしているのは、旧約聖書である。
つまり、聖書こそ最も純粋な成功法則であり、成功の根源である。
惜しみなく施す事には、豊かな祝福がある。
「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(7節)
苦痛を込めつつ捧げるのは、神様に喜ばれるものではないし、周りがみんな捧げているから私も捧げなきゃ、と、空気を読んで捧げる心も、喜ばれるものではない。
ただ、自らの心から湧き出た感覚の通りに、喜んで捧げる捧げものを、主は喜ばれる。
人に知られないよう、密かに捧げる捧げ物を主は喜んでくださるが、コリント教会とマケドニヤ教会のように、他の兄弟姉妹の捧げる様が公にされ、それを見た兄弟姉妹の心が奮い立たされ、その良きわざが広がっていく、という事もある。
また、ある人が惜しみなく捧げ物をして、その人がどんどん祝福される様を見て、それを模範として見ならって捧げた結果、大いに祝福を受けた、という事もある。
公にするにせよ、密かに捧げるにせよ、捧げ物は、各々示された通り、嫌々ながらではなく、心に決めたとおり、喜んで捧げるのが、本来のあり方である。
喜んで捧げ、神様から喜ばれ、さらに祝福され、さらに捧げられるようになる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!