メッセージ - 面と向かっているときはおとなしく(2コリント10:1-8)
面と向かっているときはおとなしく(2コリント10:1-8)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 2コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-2-24 19:49
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韓国語通訳有
10章からはパウロの反対者に対するパウロの勧めで、彼はまず「キリストの柔和と寛容をもって勧め」ています。(1節)
パウロの反対者は、パウロは面と向かっているときはおとなしく、離れている時は強気だと言っておりますが、この反対者の言っていることから逆に、キリスト者のあるべき姿を見る事ができます。
確かにパウロの手紙は重々しい所があります。
「あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。」(1コリント5:4)とか、「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。」(1コリント6:3)など、実に重々しく、強気に見えます。
しかしパウロは、手紙をおごそかにするための飾りとして「イエスの権能をもってサタンに引き渡す」とか言っているのではなく、真実そのままを語っているのです。
彼は、実際に面と向かっている時、柔和と寛容をもって接しているのでしょう。
柔和さと寛容さは一見、弱々しく見えるかもしれませんが、御言葉の真理を語る時は、語調は柔和に、そして真理はそのまま語るものです。
パウロの反対者は、全く違ったイエスや、御言葉と違う福音を述べ伝えており(2コリント11:2)、しかも、コリントの人達の顔を叩いたり、威張ったり、奴隷にしたりと、暴力的な人達だったようです。(2コリント11:20)
肉に頼る人達は、暴力的になる事によって人を支配しがちですが、私たちの戦いの武器は、肉のものではありません。
私たちの武器はエフェソの6章にあるような霊的武器であり、そして攻撃の武器は、御言葉の剣です。
「それは、神に由来する力であって、要塞も破壊するに足ります。」(4節)
その武器を研ぎ澄ますには、どうすればよいでしょうか。
「わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」(5節)
すなわち、まず神の知識に逆らう高ぶりを打ち砕かなくてはなりません。
また、全ての思いをとりこにして、キリストに服従させるのです。
キリストに対する従順が完全になる時、あらゆる不従順を罰する用意ができるのです。
結局、私たちが御言葉に従順でなければ、この武器に効力を持たせる事はできません。
そして、その武具の使用目的は、人を倒すためでなく建て上げるためです。
「あなた方を打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、私がいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。」(8節)
全ての高ぶりを取り除き、あらゆる思惑をキリストに服従させ、そして与えられているこの霊的武器を、神に逆らうあらゆる敵に行使し、兄弟姉妹を建て上げる皆さんでありますように。
イエス・キリストの御名前によって祝福します。
アーメン。