メッセージ - 愚か者は愚かになって救い出せ(2コリント11:16-22)
愚か者は愚かになって救い出せ(2コリント11:16-22)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 2コリント人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-3-1 19:12
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韓国語通訳有
コリント人がパウロを量ったように、どうしても人間的・肉的な評価でしか人を判断できない人はいる。
例えば、あの牧師はどこの神学校を出て、誰先生の下で学んだのか、預言や癒しは出来るのか、等といった、表向きの事に気を取られるあまり、その牧師の口から語られる言葉が、どれほど御言葉に立っているのか、その真理の純度はどれほどのものなのかが判断出来ず、表向きな事を誇張している偽使徒や偽兄弟達に、多くの時間やお金、エネルギーを、泥棒されていたりするのだ。
パウロとしては、そのような罠に陥っているコリント人達を、汚れの無いキリストの花嫁に仕立てたいと願っているために、敢えて彼自身も愚かな次元に降りて、彼らを説得させようとした。
箴言には、以下の言葉がある。
「愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな/あなたが彼に似た者とならぬために。愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者だと思い込まぬために。」(26:4-5)
もし愚か者と同じレベルで対処するなら、愚か者になってしまうが、パウロは敢えて自分もそのレベルに降りてくる事によって、いかにコリントの人達が愚かな判断をしていたのかを、思い知らせようとしたのである。
どれほどコリント人は愚かだったか。
「実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。」(11:20)
自分達の上に立って指導してくれる王を欲しがる人達は、パウロのように、愛と知恵に溢れている人よりも、むしろ声が大きくて暴力的であっても、行動や意志が明確な人についていきたがる習性がある。
たとえ、そのリーダーの為す事が、愚かだな、と思ってはいても、その人の明確すぎる意思や行動に、つい委ねてしまい、そうして彼らは、そのような偽使徒の愚かなリードに従って、奪われたり食い物にされたり、暴力をふるわれたりして、めちゃくちゃにされてきた。
「多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。」(18節)
普通、誇るのであれば、自分は何名を救いに導いたとか、どこで誰に学んだか、どんな不思議をして来たかなど、いかに自分が大きな事をしてきたかを誇るだろう。
そういう事なら、パウロはいくらでも誇る所はある。
彼はガマリエルの元でパリサイ派の教育を受け、教会をいくつ建てたか分からない程だし、自分の前掛けを病人に置くだけで病人は癒され、悪霊を何匹追い出したか分からない。
しかしパウロが誇ったのは、なんと、弱さだった。
そして、キリストの故に、いかにこの身に苦難を負ってきたかを、誇った。
『イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。』(ルカ22:25-26)
人間的な何かを誇って自分が大きくなるのではなく、自分を低くし、キリストにあって高く上げられ、キリストの力を帯び、キリストに働いていただいて、キリストのわざが大いになされる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!