メッセージ - 肉体のとげ、サタンの使い(2コリント12:7-13)
礼拝説教メッセージ音声:肉体のとげ、サタンの使い(2コリント12:7-13):右クリックで保存
韓国語通訳有
パウロは素晴らしい啓示を披露し、その直後、弱さを誇っている。
「また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。」(7節)
この「とげ」が何を意味するのかには色々な説があり、彼の目の病ではないか、あるいは「サタン」から来る絶え間ない試練や誘惑、あるいはパウロを邪魔して止まない誰か人ではないか、など言われている。
第三の天にまで上げられ、多くの人を癒し、多くのサタンのわざを砕いてきた、あのパウロが、病か何か「サタンから送られた使い」に苦しみ、しかも主に3度願っても、主はそれを去らせてくださらない。
この矛盾にも見える事の意味は、一体何だろう。
この「とげ」が与えられた事の理由は、まず「思い上がることのないように」(7節)である。
また9節、『すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』
つまり、キリストの力の表れとは、木や石で出来た偶像が人間の力によって立て上げられ担がれるのとは真逆で、キリストが弱い人間を建て上げ、担ぎ上げ、そうしてキリストの力が、弱い人間を通して働かれるのである。
人が徹底的に人間由来の力をあきらめ、全てをキリストに委ねる時、キリストの力が大いに働くのである。
私達にも、常に何らかの形で痛めつける「とげ」が刺さっているかもしれない。
それは病かもしれないし、誘惑かもしれないし、名前を挙げられる誰か人かもしれないし、与えられた環境かもしれない。
これさえ無ければ私はもっと自由になれるのに、もっと活躍できるのに、と思うかもしれない。
しかし、それらが与えられている理由は「思い上がることのないように」「キリストの恵みが弱さの中で十分に発揮されるために」「キリストの力がわたしの内に宿るために」である。
病が癒されるとしたらキリストの栄光のため、病が与えられるとしてもキリストを頼りとするためであり、キリスト抜きの病は意味の無い苦しみ、キリスト抜きの癒しは大いなる機会損失でしか無い。
「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(10節)
パウロは多くの弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりを体験して来たが、それでも彼の命が長らえ、キリストへの信仰も守られてきたのは、それらを受けるたびキリストへと持って行き、キリストが働き、パウロ個人の人間業では決して出来ない救いが都度、キリストから与えられてきたからである。
結局、全てはキリストへと向かう事によって、意味を為すのだ。
日々キリストに全てを委ね、キリストを体現し、人々にキリストをあらわす皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!