メッセージ - 求めるのは、あなた(2コリント12:14-18)
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韓国語通訳有
「わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。」(14節)
パウロのコリントの人達への愛は、父親のような強く熱いものである。
同じく、教会における交わりは本来、打算的なものではなく、家族的なものである。
もし牧師や聖徒が、教会の人数や大きさ、献金額、名声など、「人」ではなく「物」を第一に求めているとすれば、表面上は聖徒と優しく接するにしても、もし役に立たないと見なしたら、平気で切ったりする事もありうる。
しかし主の愛は、あくまでモノではなく人に対するものであり、主も、一人の罪人が悔い改めたら、天で大きな喜びが沸き起こる事を、3つのたとえを用いて詳しく説明された。(ルカ15章)
コリントの人達の一部は、そんなパウロの心を悪意へと取りかえ、パウロが金銭面で負担にかけなかった事さえ「実はパウロは悪賢くてだまし取っていた」と吹聴する者や、それを真に受ける者もいた。(16節)
真実なの愛を悪意を持って受け止め、恩をあだで返すような事は、往々にして有り得る事柄である。
それはパウロとコリント人の関係に留まらず、世の親と子の関係も、そして、キリストと人との関係も、まさしくそうである。
「あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。」(15節)
このパウロの心情吐露は、そのまま、キリストの心である。
「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:10-12)
キリストの尊い愛を軽んじる者、その愛を受け入れない者は、既にさばかれており、そのまま自分の罪の闇の内に滅びるが、キリストを受け入れる者は、光にあって滅びる事なく、永遠のいのちを保つのだ。(ヨハネ3:16-21)
パウロがここまでも艱難に耐え、大きな事を為し、捧げる愛に満たされていたのは、キリストがパウロの内に宿り、彼の内で働いていたからに他ならない。
私達の内に、元々愛は無い。
しかしキリストに満たされる時、私達はキリストのわざを為し、キリストの愛を流し出すのだ。
打算によってではなく、キリストの愛によって交わりを保ち、キリストの愛を流し合う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!