メッセージ - 的を射た歩み(ルツ2:1-16)
的を射た歩み(ルツ2:1-16)
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週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
本日は震災からちょうど一年目、日本の至る所で追悼式が行われるが、私たちは今日、何をもとにして歩むべきか。
私たちは、的を射た歩みをすべきである。
罪(ハマルティア)とは「的外れ」という意味であり、的を外した歩みは、余計な労働に掻き回される上、何も有益なものを残さない。
的を射た歩みとは、決して動かされる事の無い岩、すなわちキリストを土台として人生を建てあげていく歩みであり、このお方を除いた歩みは、砂の上に建てた楼閣にすぎない。
神への不従順とその報いである災いが満ちている世にあっても、しっかりと力をつけていき、栄えた男がいる。
「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。」(ルツ2:1)
当時のイスラエルは、律法に従順するのではなく、めいめいが自分の目に正しいと見える事を行っており、イスラエルが神から離れる度に、神は外敵を用いてイスラエルを懲らしめ、それでイスラエルは神に立ち返り、神は憐れんでさばきつかさを用いてイスラエルを救い、そうして束の間の平和が訪れ、しかし、後の代になると再び神から離れ、神は再び外敵を用いて懲らしめ・・・というサイクルが、当時続いていた。
そんな災いの中でも着実に有力者になって行き、後には王族の家系を生み出した男が、ボアズである。
彼の父はユダ族のサルモン、母はかつてカナンの城塞都市エリコで遊女をしていた、あのラハブである。
サルモン(名の意:平和を好む)はヨシュアがエリコを探らせた二人の斥候の一人ではないか、という説もあるが、どのような馴れ初めで結ばれたにしろ、あの異邦人や不品行に厳しいイスラエルの中で、妻ラハブや息子ボアズを養う時、世間からの理不尽な偏見や妨害もあったであろう事は、容易に予想できる。
しかも、当時イスラエルは不従順の故、外敵の攻撃やききんによって、不安定な生活を強いられていた。
そのような災い多き世情、そのような家庭事情の中であっても、着実に力を伸ばして行けた秘訣は、一体何だろう。ボアズの言動から、その秘訣を探っていきたい。
『ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。』(ルツ2:4)
この短い一節から、彼は身内との挨拶に「主が共におられるように」という祈りと、「主が祝福して下さるように」という祝福を、日常的に交わしていた事が伺える。祝福の挨拶を交わす事は、有力者の第一歩である。
ボアズはルツに、よその畑に落ち穂を拾いに行かず、この畑で拾うよう勧め、また、ルツが落穂を拾うのを若い者が邪魔をしないようきつく命じ、喉が渇いたら汲んである水を自由に飲むよう、勧めた(2:8-9)
当時、落穂拾いをする人は、いじめられるのが常だった(2:22)が、ボアズは主の方法をよく心得ていた。
申命記24:19によると、穀物の束を畑に置き忘れたら、取りに戻らぬように、なぜなら、それは在留異国人ややもめのものであるから、そのようにするのであれば、主は祝福して下さる、と書いてある。
神は在留異国人ややもめを憐れみ、養ってくださるが、しかしボアズは、束を「わざと」落とすよう指示して(2:16)神の憐れみの業を自分のわざとし、神の思いを自分の思いとした。
有力者の行動パタンは、弱い者を憐れみ、神のご性質をよく知り、神の働きを、自分の働きとする事である。
ルツの信仰を導いた義母ナオミは、全能者が自分をひどい目に合わせたから自分をマラ(苦しむ)と呼ぶよう人々に言ったが、ボアズは主を「報いて下さるお方」「翼の下でかくまって下さるお方」と認めていた。
『どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。』(2:12)
ボアズの生きた世情、生まれた家庭環境を鑑みるに、彼は神に対し、ひねくれて育つ要素は十分あったが、彼はあくまで、主に対するポジティブな見方を変えなかった。それもまた、有力者の思考パタンである。
またボアズは、自分のはやる思いに走らず、目上の人への礼儀を重んじ、世の中のルールに従順した。
ルツにせまられた時も、自分よりも近い買戻しの権利のある親類を置いて自分勝手には出来ないと告げたし(3:12-13)、その翌日、当の親類を10人の長老と共に呼び集め、彼らの前で正式に買い戻しの手続きを行い、ルツを公にめとり、結果、ボアズは長老達から、ナオミは女達から、公に祝福された。(4:11-15)
ボアズのように、主に対してポジティブな信仰を持って、祝福の挨拶を交し合い、主の御思いを自分の思いとし、自分のはやる思いに走らず、主にある兄弟姉妹や目上の人への礼節を重んじて、この災い多い世情においても、有力者となって栄える皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!