メッセージ - 譲ってはならないキリストにある自由(ガラテヤ1:1-5)
譲ってはならないキリストにある自由(ガラテヤ1:1-5)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ガラテヤ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-3-13 20:58
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韓国語通訳有
ガラテヤ人への手紙は、いつ、どこで、また、ガラテヤのどこに書かれたかはあまり定かではなく、状況的な手がかりを書面から余りつかめない程、パウロは本質だけをこの手紙で簡潔に書いている。
この手紙は全体的に論駁的で、それは福音の本質である「キリストにある自由」を侵害する者に対するパウロに怒りと、その者達によって欺かれてしまったガラテヤ人へのうめきに満ちているため、2コリントよりさらに情熱的な論調である。
イエスを信じる信仰によって救われる、というシンプルな福音に混ぜ物をし、割礼を受けさせる等、律法の行いをしなくては救われないと主張して、キリストにある自由を侵害する事を、パウロは決して赦す事ができなかった。
だから彼は1章1節の最初から、自分の使徒としての権威は人間からのものではなく、イエスキリストにある神から出たものである事を宣言し、そして4節では、キリストはあなたたたちを悪から救い出すために、いのちを投げ出して下さったという真理を宣言している。
あたかもキリストの贖いは不完全で、それに人間が何かを付け足す事によって救いを完成しようと思っているガラテヤ人を、パウロは真っ向から牽制したが、私達も同じ過ちに陥っていないだろうか。
キリストがただ一度、いのちを投げ出して提供して下さった十字架の救いは、完全であり、自分の何か頑張りも添えて完成させよう、などと思うのは、謙遜ではなく傲慢である。
「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ガラテヤ1:4-5)