メッセージ - 行いによらず信仰によって(ガラテヤ3:6-9)
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韓国語通訳有
アブラハムはイスラエル民族の父、イスラエルのアイデンティティの根源であるが、そのアブラハムが神に選ばれ、義とされたのは、律法の行いなどではなく、実に、信仰によってであった。
「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」(ガラテヤ3:6、創世記15:6)
アブラハムに子が与えられたのは、人間の力によっただろうか。否、100%神の力による。
神は「全能の神」として現れ、人としての生殖機能が完全に死んだ89歳の不妊の女サラに、来年の今頃、あなたには子が生まれている、と仰せられた時、サラは力なく笑うしか無かったが、神に不可能は無かったのである。
人間は神の御業に何か付け加えて、御業の完成をさせる事ができるのだろうか。
それも否、神のなさろうとする御業は元々完全であり、人間が何かの行いや頑張りによって、それに何か付け加えようとすると、逆に災いしかもたらさない。
アブラハムさえ、中々成就されない神の約束を、人間的な力や頑張りによって成就しようとして、後々にも災いの根を残すような失敗をしてしまった。
「サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。」(創世記16:2)
サライが「主はわたしに子供を授けてくださいません。」と言ったからには、子を生ませないのは「主」だと知っていた。
だから主に祈ってお願いしよう、という発想に行き着かず、では私たちで出来る事を頑張りましょう、という発想になってしまった。
その結果、主は13年も沈黙され、人間的な頑張りによって奴隷女ハガルとの間に生んだイシュマエルは、後のアブラハム一家に争いと分裂を引き起こし、今日においても、イサクの子孫イスラエル人とイシュマエルの子孫アラブ人は、骨肉の争いをし、今日の世界全体に、大きな災いをもたらす事になってしまった。
人間が自分の力で足掻くなら、神はその人が力果ててあきらめるまで沈黙して待たれる。
いよいよ肉的な力が尽き果てた時、神は「全能の神(エル・シャダイ)」として現れ、99歳と98歳の夫婦に「来年の今頃、あなたには子が生まれている」と仰せられ、しかもアブラムにはアブラハムという新しい名を、サライにはサラという新しい名を与え、この夫婦から国々が生まれ、王たちが生まれる事を宣言される。
それは人の耳には実にばかげており、サラも笑ってしまったほどだが、実際にその次の年、その通り神の約束された事が成就し、何世紀か後には子孫は多くなり、数々の王達が生まれた。
イスラエル民族の父祖アブラハムが救われたのは、彼が格別善人で、行状が良かったからだろうか?否、神の一方的な選びによった。
彼が義とされたのは、彼が律法の行いをしたからだろうか?否、彼が信じたからである。
私達の救いも同じであり、人間の身勝手な頑張りは、有害しか生み出さない。
神の御業はあたかも不完全であるとして、神抜きの人間の力で足掻こうとするのは、罪である。
神は救って下さるお方であるという信仰により救いを得て、大いに栄える皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!