メッセージ - 呪い以外の何者でもない行い追求(ガラテヤ3:10-14)
呪い以外の何者でもない行い追求(ガラテヤ3:10-14)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ガラテヤ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2012-3-26 22:06
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韓国語通訳有
人は、律法の行いのどれかを成した事によって、それによってあたかも自分が霊的次元が高まったかのような錯覚に陥るが、一たび、律法によって義を得ようとする路線に乗ってしまうと、呪いの束縛に入ってしまう。
律法は365の「してはならない」と、248の「しなさい」によって構成され、その一つでも破る者は違反者となり(ヤコブ2:11)、違反者は呪われる者となってしまう(申命記27:26)からである。
結局、人間は律法の要求を全うする事は不可能で、人間は誰でも呪いの内にある事を律法は示し、罪の性質がある事を暴くのみである
そのような律法によって生きようとする者には、漏れなく、呪いもついて回る。
「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。」10節
キリストは、そんな呪いの内に束縛されている私たちを解放するため、自らが十字架上で呪われた者となって下さり、いのちを差し出して私たちを買い戻して下さった。
それを信じる私たちに、呪いからの解放と自由が与えられるのである。
アブラハムも、アベルも、エノクも、信仰によって義と認められた。(ヘブル書11章)
行いによる義を追及して行けば行くほど、束縛が増して行き場を失うが、キリストにある信仰によって義とされる真理は、知れば知る程自由になり健やかになっていく。
さらに真理を知り、さらに自由にされていく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!